及川海相が戦後、陸軍の東條英機から「海軍は戦えないと言ってくれ」と申し込みがあったと証言したそうですが、それはどのような意図だったのでしょうか。

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>「海軍の肚(はら)はわかったのである」と書いたのではありませんか? 226事件以降、日本政府のシビリアンコントロールは崩壊し、天皇の統治権の代理人である首相は「お飾り」となりました 陸軍は、日露戦争でロシアから獲得した満州の権益(鉄道、鉱山など)をさらに拡大させるために日中戦争を起こしたわけですが、帝国主義という観点からすれば、当然のことで、このこと自体は問題はありません しかし、辛亥革命で成立した中華民国政府は、統治能力がなく、権益を餌にアメリカに支援を依頼したわけです アメリカはインド経由で物資の支援と、偽装義勇軍(フライングタイガース=米陸軍航空隊)を派遣し、日中戦争に参戦しました 日中戦争は事実上の日米戦争となっていたわけです だから、陸軍は対米開戦を主張したわけですが、問題は海軍にありました 海軍は、日露戦争後、米海軍を「仮想敵国」として、艦艇の増強を強引に進めてきたので、いまさら「アメリカには歯が立ちません」とは言えなかったのです もし、開栓に反対といえば、陸軍の圧力で海軍の予算は半減しているでしょう そうなれば、艦艇の増強もできず、事実上海軍は解体されたことになります 存続したとしても、陸軍の海上輸送部隊でしかなくなるわけです 山本をはじめ、海軍首脳は・・・・首相一任で逃げたのです 海軍という組織を守るために

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中国との戦争がなかなか終結の見通しも立たない状況でアメリカと戦争して勝つ保証は無い事ぐらい陸軍もわかっていました。何しろ陸軍は対米戦の研究も島嶼戦の研究も一切してこなかった対ソ戦一辺倒の軍隊だったのです。中国との戦争で陸軍は戦争は長期持久戦になる事を学習しました。そうなると圧倒的にアメリカが有利です。だから陸軍は海軍に対米戦の見通しを尋ねたのです。海軍が自信がないと言ってくれたら陸軍内の強硬派も納得するしかないだろうという事です。 ところが海軍はやるなら早い方がいいと返答します。なぜなら軍縮条約失効後の日米建艦競争で日本は数年後には戦わずして屈服というこの上ない窮地に立たされていたのです。アホらしい限りですが、海軍は自分たちの面子を守るためにむしろ早期開戦を促したのです。 それと海軍絡みですが、なぜ日本が南部仏印に進駐したかですがどうも人造石油が影響していたようです。東條英機は進駐の前月ぐらいに担当者に人造石油の見通しを尋ねてそこで初めて巨額の資金を投じてまったく成果が期待できない状況である事を知らされたのです。もう日本の石油事情が非常に逼迫している事を知らされた東條は非常に激怒したといいます。日本は石油を盗むために南部仏印に進駐したのです。この時点でもう開戦は不可避です。そして、人造石油が失敗した大きな要因は海軍が海外の技術の導入を拒否した事です。この海軍の独善を諌める事ができたのは陸軍だけでしたが、人造石油には無頓着で海軍任せでした。結果、人造石油計画は金と資材を無駄にしただけとなったのです。 さらに許し難いのは早期開戦を希望していながら対米戦争の具体的な戦略は何も用意していませんでした。あったのはアメリカ艦隊とどう決戦するかだけです。それすら勝利を確信できるような作戦はありませんでした。海軍が戦争やるべしとなっている以上、首相が近衛文麿のままでも開戦は不可避だったでしょう。 一般に海軍は戦争反対と思われているようですが全員が同じ意見のはずがありません。戦争反対の人もそうで無い人もいます。陸軍もそうです。 東條はもうこいつしか陸軍の強硬派を抑えられないという事で首相に任命されました。しかし、石油事情が危機的な状況では交渉を継続したところで情勢は悪くなるだけです。屈服か開戦か。海軍が対米開戦辞さずとしているので屈服を選べば国民が激怒します。日本には開戦しか選択肢は無かったと言えるでしょう。そうなったのはもちろん陸軍の責任もありますが海軍の責任も決して小さいとは言えないのです。 因みに山本五十六の一年や二年はというセリフですが、井上成美に優柔不断な近衛文麿にそんな事言ったらダメだったと批判されています。

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ずる賢いのは東條ですよ。東條は陸軍の好戦派の筆頭として散々戦争気運を煽った張本人。それを抑えるのに海軍に「戦えないと言ってくれ」ですと? ボケた永野修身すら「そんな事が言えるもんか!」と怒ったそうです。 戦争したくて仕方がなかった陸軍、そう言う風に焚き付けたのが東條。自分が「陸軍は戦えない」と言えばよかったのですよ。 >また何故このとき、日米開戦反対派たるはずの海軍は「首相一任」で逃げたのでしょうか? 荻外荘会議の話ですね。この時点では近衛首相は平和路線に転向していた。海軍はそれを知っていたから首相一任と言ったのです。それを受けて近衛は、 「私に任されたら中国からは撤退、アメリカとは友好関係を調整します」 と、応えました。東條は激怒「中国からは絶対に撤退しない! アメリカとは戦争だ!」と強烈に反対。会議後、鈴木貞一を含めて二度も陸軍代表を近衛を訪問させ、「この件では陸軍としては譲らない」とトドメを刺した。その為に近衛内閣は総辞職に追い込まれたのはよく知られています。 >近衛首相は、そういうずる賢いやり取りをさんざん見てきたから、 「さんざん見てきた」? 海軍がどんな「ずる賢い」ことを「さんざん」やったか、教えて下さい。 >山本五十六から「1年や2年なら存分に暴れてご覧にみせる」発言の直後に「海軍の肚(はら)はわかったのである」と書いたのではありませんか? また資料の一部切り取りですね(笑)。 山本は更にこう言いましたよ。 「、、、しかしその後は全く確信が持てません、、、日米戦争の回避に極力御努力願います」 山本は近衛に都合二度会いましたが、二度とも同様の事を言いました。 そう言う事もあって近衛は平和路線に転換していたのですが、それをぶっ飛ばして近衛内閣を総辞職に追い込んだのは東條でした。そして新首相になって一ヶ月もしないうち対米開戦を決めました。

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