まあ基本的には中国史上によくある農民反乱です。
王朝の政治が腐敗してくればその被害を真っ向からこうむるのはダウ多数を占める農民たちです。そのまま死ぬよりは反乱を起こして一か八か勝負してやろうと決起するわけです。
太平天国も本質は同じですが、ユニークなのは従来の農民反乱が道教或いは仏教とつながりがあったのに対し、太平天国はキリスト教でした。
教祖洪秀全は自らをイエスの弟と称し布教しています。
そして中国に伝統的な思想体系だった儒教を否定したこと。
さらに当時の清朝は少数の満州人が大多数の漢民族をしたがええや制服王朝であり、太平天国は「滅満興漢」を掲げて漢民族の復興を訴えました。
農民たちの生活の窮乏にキリスト教的ユートピア思想(原始共産的な天朝田保畝制、纏足の廃止、辮髪の廃止など)と満州人たちからちぃいごくを漢民族の手に取り戻すというナショナリズムが絡んで大規模な反乱になりました。