浄土真宗の親鸞証人は、『日々是好日』と言って、始まったその日に悪い日はなく、一日一日のよい種まきでよい日になると教えているのに、どうしてお寺には厄年とかあるのですか?なにもしていないのにいきなり悪い年
浄土真宗の親鸞証人は、『日々是好日』と言って、始まったその日に悪い日はなく、一日一日のよい種まきでよい日になると教えているのに、どうしてお寺には厄年とかあるのですか?なにもしていないのにいきなり悪い年 があるのでしょうか? 教えてください。
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ベストアンサー
『日々是好日』は元々禅語です。 何もしてない事有りません。生きています。 生きていれば変化があるモノです。その悪い変化が厄と言われます。 日々、よい種まきをしても悪い事なんていつでもやってきます。その悪い事をバネにして次の種まきにする力強い生き方が『日々是好日』だと思います。
質問者からのお礼コメント
よくわかりました ありがとうございます❗
お礼日時:1/23 20:10