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2022/1/25 13:40

66回答

理系の人はなぜ理論を演繹的に導かないのですか。文系は演繹がすべてです。たとえば、こんなふうに、「はずだ」「ちがいない」を連発して演繹します。

補足

×惑星の軌道は遠である。 〇惑星の軌道は円である。 しかし、この品田悦一という人の「でしょう」「はずです」「違いありません」は何でも論証できる万能の論法ですね。博士号未取得らしいですが、さすが東大大学院の教授です。 これは・・・ということでしょう。 そういう思想的背景のもと・・・のでしょう。 読者にも知られていることを期待したはずなのです。 旅人も・・・信じていたはずなのです。 大伴旅人も・・・はずです。 ・・・といえるでしょう。 考えられる答えの一つは・・・というものでしょう。 旅人が・・・なかったからでしょうが、旅人自身は・・・していたはずです。 当時から陰謀が囁かれていたでしょう。 旅人もそう強く疑ったに違いありません たぶん・・・のでしょう。 事件に憤慨したのではないでしょうか。 ・・・と見て間違いないでしょう

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質問者2022/1/29 21:42

なお下記論文(?) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64241 が考察する梅花歌の序は次のような漢文です。 天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾蓋、夕岫結霧、鳥封縠而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是蓋天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。請紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。 http://sybrma.sakura.ne.jp/576gengoureiwanoshutten.html

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございます。日本の人文系の学問も欧米の人文科学のように科学になってほしいですね。リンク先のようなオカルトが通用するのは日本だけです。

お礼日時:1/29 21:44

その他の回答(5件)

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科学は事実を説明できるかどうかが全てだからです。どんなに正しそうに見える結論が演繹できても事実と整合しなければ間違いです。 いっぽう、例えば歴史や古文書の解釈、故人の意図、など、事実かどうか確かめようのないことを対象とする学問では、演繹するほかありません。そう言うことだと思います。

なお、後者は学問ではあるが科学ではありません。 科学的でないから価値がないというのではなく、科学でない学問領域もあるということです。

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理系も演繹的な論証はよくします 理系の常識からすれば数学でつかうようなAならばBみたいな絶対に正しいものの積み重ねでもなければ演繹的な論証は信じるに値しません 記事みたいな論理展開で出た結論が「正しい」と信じる方が馬鹿です 理系の論文でもまさしく記事と同レベルの論理展開をするところがありますが、その論理展開による結論は与太話程度にしか聞いていないです 記事の内容で文系が馬鹿だということにはなりませんが理系の中では論としては信頼性に乏しいので研究成果とはならないかなといったところです(一般的に受け入れられている説で総説といった書き方ならありです、成果にはなりませんが) 理系の論文の構成は大体 イントロ、仮説→実験、検証→議論、展望 なんですが記事に近い話をするのが展望の部分ですね 今回の研究からもしかしたらこんなことが出来るようになるかもしれないよ、という話をして他の研究者に興味を持ってもらい更なる研究をしてもらうための部分です (仮説の部分でも演繹的思考はしますが、うまく行かなければ論文、成果にならないだけ) natureなどの格式の高い論文であるほど展望は壮大な話をして凄さをアピールするのですが、その話が実現するどころか間違っていると後からわかることも多いです あくまで「かもしれない」というのを書いてるだけですから それ自体が研究だとかにはならないし、誰も正しいとは思っていません もちろんそう考えるのが妥当で他の研究者が実験でそれを確かめたいと思う程度には信ぴょう性をもたせてありますが 英語でpossibly, would ,couldとかまさしく日本語だと「はずだ」に当たる言葉をつかいますね 「違いない」は強い言葉なので論文によりますね

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理系か文系は関係なく,科学的な文章には「はずだ」も「ちがいない」 も使いません。自然科学だけじゃなく,人文科学や社会科学でもという ことです。 科学というのは,事実を観察してそれを説明できるようなモデル・仮定 を作ります。ここには誤差や勘違いや間違いもありますが,モデルが 無い状態から始める科学はあり得ないので,まずモデルを作ります。 次に,そのモデルを客観的な道具で解きます。ここでは必ず根拠を先 に述べて数学等の間違いの存在しない道具で結果を求めます。根拠を 示さない結果は誰も信じませんから,単に「はずだ」と書く科学者は 文系にもいません。「ちがいない」というのは根拠が薄弱だと宣言し ているようなものです。このようにして得られた結果からモデルが 示す予測が,今解こうとしている問題・課題の状態を,ある適用範囲内 で説明できれば,その研究がひとつ終了したことになります。 どこにも「はずだ」「ちがいない」を使う場面は存在しません。

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「はずだ」「ちがいない」を連発して演繹する人が作ったり売ったりしてる家電や車や家は怖くて買えません。

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理系と一括りにするから、逆にややこしくなるかもしれません。 理系にも単純な学問、研究者や、工学系のものづくりの人まで色々居ますからね。 時と場合と立場と論じる対象などを考えないと一概には言えないと思います。

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仮説として行いますが、そこで終わりではありません。 論証は再現性や実験により帰納法的に原理説明できないと論証になりません。

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