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2022/1/26 15:16

55回答

大学生です。中学社会・歴史の教科書を見直していると「豊臣秀吉の全国統一」にて、「秀吉は関白の地位について、天皇の伝統的な権威をも利用して政治を行いました。」とあります。なぜ、関白が天皇の伝統的な権威と関係

補足

征夷大将軍についた場合と何が違うのかも教えてください

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征夷大将軍は朝廷のある場所(京都)にいなくてもよい。逆に関白は天皇をサポートするために京都にいる必要がある。朝廷(天皇)と一体となるので官位の授与や公家の監督が容易になる。反面、公家が就任してきた関白などの地位に武家がつくので公家が就任できないから反発を買う。 例えば源頼朝は京都から本拠地の鎌倉に帰りたかったので京都にいなければならない権大納言と右近衛大将を就任直後に辞任した。後に京都にいなくてもよい征夷大将軍に就任した。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん、わかりやすいご回答ありがとうございました。

お礼日時:1/26 21:48

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関白というのは天皇の後見人であり、親代わりのようなものですから、必ず天皇の側、つまり京都にいるものです。 征夷大将軍というのは、遠征軍の長官、という意味です。だから京都から遠くにいてこそ意味がある肩書です。 将軍は、遠征先ではいちいち天皇や朝廷の命令を待たずに、独断で軍を動かし占領地を統治する全権を与えられています。これが「幕府」と呼ばれる政治機構を作る根拠になります。武士は武士で勝手にやらして貰いますよ、朝廷は文句を言わんといてください、ということです。 つまり征夷大将軍というのは、いつまでも京都にいちゃあいけないものです(理屈のうえでは)。 ところが室町幕府というのは、本当ならば武士の本場・鎌倉に本拠を置くべきだったのに、いろんな事情で京都を離れられないのが常態化してしまった、不自然な政権なんです。 「征夷大将軍」つまり蝦夷を征伐するための将軍前線基地は、京都と奥羽の中間地点である関東になければ、本来はおかしい。遠征軍長官の名前を貰ったのに京都に居座ってるのはおかしい。 戦国時代は、このへんがグズグズになってる、とってもおかしな状態だったんです。 同じ京都に天皇と将軍がいたら、どっちが偉いって天皇が偉いに決まってるんだから、将軍がグズグズになってきたら、大名たちは「じゃあ天皇のとこに行けばいいか」って話になって、幕府ってやつの存在意義はなくなっちゃいます。 戦国時代の室町幕府がどんどん衰微していったのは、京都にいたから、と言っても過言ではありません。相対的に、天皇の存在意義が増していたのが戦国時代なんです。 織田信長は「天皇さえ押さえておけば、もう将軍なんて担ぐ必要ないじゃん」といって、足利義昭を遠慮なく叩き出した、わけですよね。 という様子を、秀吉は天下取りの過程で、ずうっと見てきたんですよ。それでいよいよ天下を取ったとき「京都で将軍になっても、どうやらダメだな」と直感したに違いないんです。 やっぱ、日本国の権力の源泉は天皇なのだ。 だから、より天皇に近いところにいる肩書が天下人に相応しい、と考えるのは、もっともな話ですね。 秀吉には、京都から離れた所に新たに武士の都を作ろう、って発想は全くなかった、だってそんなの見たことないもん、日本史知らないもん、吾妻鏡なんて読んでないもん、鎌倉時代なんて大昔の話は聞いたってわかんないもん。 「天下取り=京都で天皇の隣の席を占めること」っていう常識は、秀吉にとって所与のものだったんです。 天皇のいちばん傍にいるのは、やっぱり「関白」なんです。だって天皇の父みたいなものだから。 幕府が天皇と対立して討伐されるってのはあるけど、天皇が関白を辞めさせることは出来ない。だって、天皇のすべての決定は関白を通さなければならない仕組みなんだから。 秀吉は、天皇の権威を最大限に活用するために、関白を取った、と言っていいでしょう。 まあ、これが最後まで上手くいったかどうかは、また別の話ですけど。

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関白は太政官(今で言えば内閣に当たる機関)からの上奏(相談や提案)を天皇に変わって受け取り、事前に知ることができました。その上でそれを天皇に伝え、それを受けた天皇の命令もまた関白から太政官に伝えられます。 つまり実質、関白が全て判断して号令をかけることができました。 最後は「奏事」といって、太政官を全く通さず、現場(事務官)からの情報を関白が独断で直接天皇に了解を取って命令を出すようになりました。 アメリカでいえば議会を飛び越える「大統領令」みたいなもの。 秀吉はそれを利用して実質的な国王になろうとしました。関白になるとすぐ「関白に就いた上は天皇に代わって秀吉が命令する」と宣言して『惣無事令』を出しています。 これは、「天皇の名の下に全ての武家の領地割、紛争の裁断を自分が行うので全ての戦争を一旦止めろ。さもないと朝廷の名の下に成敗する」というもので、ほとんどの大名は黙って秀吉に臣従し、無視した北条家は反乱者として鎮圧され戦国時代は終わりました。 もし関白になっていなければ、もっと多くの戦国大名の紛争、反乱を軍勢を率いて個別に鎮圧することになったかもしれません。 関白も征夷大将軍もどちらも太政官とは別次元の役職(令外の官)ですが、将軍には天皇と直接意思を通じたり、天皇に代わって号令を発するような権限はありませんでした。 (あくまで形式上ではありますが)全て太政官を通した天皇の許可を必要としました。もし別に関白がいれば、その許可も必要になります。 それだけ手間と時間がかかるので、秀吉はダイレクトに権力を使える関白を選んだのでしょう。

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天皇様、成人した天皇様の下で権力を行使するというのが関白です。天皇様が幼児の時は摂政です。過去にその摂政関白の政治という一時代を築いているのが平安時代の藤原氏です。その伝統という事のかなと思います。

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藤原氏以降、宮中にて天皇の補佐として絶大な権力を誇っていたためです