238年に魏の国から卑弥呼が金印(親魏倭王印)を賜われましたが、なぜ遣唐使は金印をもらわなっかったのでしょうか。有識者の方お願いします。
238年に魏の国から卑弥呼が金印(親魏倭王印)を賜われましたが、なぜ遣唐使は金印をもらわなっかったのでしょうか。有識者の方お願いします。
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金印を授かるということは中国の王朝からの冊封を受け入れるということです。 冊封を受けるというのは簡単言えば日本が中国の家来にしてもらうという意味です。 「親魏倭王」とは魏(中国)の家来である倭(日本)の王という意味です。 金印はその証拠の品として授かるのです。 日本側はすでに遣隋使の段階で中国の皇帝へ 「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」 としています。 天子とは本来天下に1人しかない皇帝の事です。 日本の天子(天皇)が中国の天子(皇帝)に書を致すということは、日本は中国の冊封体制(主人と家来の関係)から離脱して対等関係であるぞ。という宣言です。 なので、日本は隋の後継王朝である唐から金印をもらういわれがないのです。
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質問者からのお礼コメント
なるほど、その頃には日本は中国の威厳を利用しなくて良くなったのですね。わかりやすい解説ありがとうございます。
お礼日時:5/18 8:29