鎌倉殿の13人 要するに、平家の栄華を見て、武士でもテッペン取れるんやと勘違いした坂東武者達が、威勢に乗って平家を滅ぼしたものの、武力行使より統治の方が難しくて皆が不幸になったということですか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様、ありがとうございました。

お礼日時:5/17 2:49

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鎌倉幕府というのは公平公正で実効性のある政府でした。 実に良くできた仕組みを持っていました。 だから本来は不満を持つはずの西国武士も幕府に心底従っていたし、天皇も公家も朝廷の裁判よりも幕府の裁判を頼りにしていたほどです。 話を広げると、19世紀にアジアで日本だけが近代化を成し遂げることができた理由の半分は、鎌倉幕府という近代的な政府・司法制度を経験していたからです。 残念ながら元寇で幕府の支柱となるべき御家人が急速に凋落したために鎌倉時代はポッキリと折れるように終わりました。しかし、後醍醐天皇の政府も室町幕府も大筋では鎌倉幕府の丸々コピーです。

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貴族から政権を奪って独自の支配体系を作り、武士の時代に突入させたんですよ? その後大政奉還まで武士の時代は続きます。 平家は既存の貴族社会の中でてっぺん取っただけで滅びました。 支配の仕組みを変える大改革のために払われた尊い犠牲ではないですか。