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2022/5/14 1:39

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関ヶ原の戦い

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新説というのは、白峰旬氏の関ヶ原の合戦はなかったという説ですかね。 白峰説の要点は下記の通り ①開戦と同時に小早川秀秋の寝返りで西軍は総崩れ ②徳川家康が小早川秀秋の陣に向けて放った鉄砲の話し「間鉄砲」は虚構 ③戦場は、関ヶ原ではなく、西方の壬申の乱時の古戦場近くの山中という場所 ④明治陸軍が編纂した西軍の半鶴翼の陣形は虚構(江戸時代初期の陣形図と異なる) ①については、白峰氏の主張を裏付ける史料もあるが旧来の説を裏付ける史料の方が多く、通説を覆すには至っていない。 ②虚構でしょうね。(以前から有りえないのいう指摘はあった) ③山中も明治期には関ヶ原に含まれるので、細かすぎる指摘だと思います。 これを言ったら小牧・長久手の戦いは、小牧・岩崎の戦いに変えなきゃいけなくなります。 ④古戦場を歩けば、陣形図の矛盾に気が付きますよ。 西軍側は、お互い味方の位置が見えない場所に布陣している。 これも、ドタバタしていて取りあえそれぞれ勝手に着陣して故で、西軍は統制がとれていなかったと言われれば尤もな話です。 ②から④は以前から指摘されており、①も一部指摘する歴史研究家もいたので、まったくの新説ではないのですが・・・。 ①の開戦と同時に総崩れか、昼過ぎに趨勢が決したのかが大きな論点でしょうか。 以前、豊臣政権と幕府成立時の時代の書籍を多く出されている歴史研究家の講演の時に白峰説の件を聞いたら、苦笑いして「この説はあまりよく知らない」と多くを語りませんでした。(白峰説相手にせずという感じでしょうか)