教員の方、大学などで教職課程を履修されている方、アドバイスをください。 現在、私立の大学に通っている2年生(女)です。
教員の方、大学などで教職課程を履修されている方、アドバイスをください。 現在、私立の大学に通っている2年生(女)です。 中学生の頃、英語が大嫌いでした。中学2年生の時の英語の先生のおかげで高校の模試などでも点数が9割とれるくらいの英語好きになりました。英語好きにさせてくれた先生のようになりたいと思い、大学は英語の教員免許を取得することができる外国語系の学部に入学しました。 しかし、1年の後期ごろから自分には向いていない、やめたいと考え始めました。私は昔から人と話すことが苦手です(今も)。でも変わりたいと思い高校では夏休みを使ってオーストラリアにホームステイもしました。ですが、変われたと思ったのは自分だけでした。大学の英語科の指導に関する授業などで、グループで話し合うことが多いのですが、私には発言ができませんでした。グループのメンバーは自分の意見をスラスラ言うことができ、感心するばかりです。 個別学習塾でバイトもしました。生徒に教える中で、「私は人に教えることが苦手なんだ」といつも感じていました。1年の後期の頃に履修を辞退すれば良かったと思いつつ、2年になった今も教職課程を履修し続けています。 ずっと教師になりたいと思っていたのに、もう「教師になりたい」と思い勉強してきた自分はどこにもいません。なれない、なりたくないと思っています。興味すら持てなくなりました。 こんな状態ではこの先教職課程を続ける自信もないですし、4年生で行う教育実習もできません。受け入れてもらう学校の先生方にも失礼です。 私は教職課程をやめるべきでしょうか?それとも続けるべきなのでしょうか? 英語は変わらず大好きです。学部内にいる国籍が様々な先生たちの話を聞くのも大好きです。英語以外の外国語にも興味を持ちました。私は曾祖母が韓国の方であり、韓国語は韓国の方と会話できるくらいのレベルはあります。色んな外国語を勉強して仕事で使いたいなと考えたりもしました。(そのレベルに達するには相当の努力が必要だと思いますが…) また教職課程をやめたいと考えるのにはもう一つ理由があります。 私の右目に3週間ほど前から痛みがあり、視野欠損している部分ができ始めたからです。ストレスかもしれないですが、父が緑内障を患っており怪しいところです。(今度病院に行く予定です。)視野が欠けていては大事な生徒が危険な目にあった時、助けるのが遅れてしまうかもしれないです。それが何よりも怖いです。 こんなにやめたいと思っているならやめればいいと思っている方もいると思いますが、ずっと応援してくれている両親のことを考えると「やめたい」と言えなくなってしまいます。また途中で投げ出したら、この先もすぐ投げ出してしまう自分になってしまうのではないかとも思います。 文章書くのが下手で長文になってしまい、申し訳ありません。 厳しい意見でも構いません。 何かアドバイスなどありましたら、回答をお願いいたします。
回答してくださった方々、ありがとうございます。 今日、眼科を受診したところ簡単な検査の結果ではありますが緑内障の可能性が高いとの診断を受けました。 また両親にも一度やめたいと言ってみたところ 母「あなたの人生だから、やめたいと思うならやめてもいいよ。でももう一度なんで教師になりたいと思ったのかよく考えてみたら?」 父「取れる資格は取っておけ、途中で逃げ出すのは良くない。」 とのことでした。 まだ回答受付の期間が残っていますので 回答してくださる方がいましたらよろしくお願いします。
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ベストアンサー
質問者様、こんにちは。 22年間公立中学校で英語教員をし、4年前に退職した者です。 質問者様と同様、外国語系学部で教職課程を履修し教員になりました。 主訴の「やめるべきか続けるべきか」ですが、お心はもう決まってらっしゃいますよね? 『「教師になりたい」自分はいない、なれない、なりたくない、興味すら持てない』のですから。 決断できない理由を2つ挙げていらっしゃいますね。 ご両親の事と将来のご自身について。 ご両親についてですが、他の方もおしゃっているようにまずは質問者様の心の内をお伝えしてみてはいかがでしょうか? 質問者様とご両親の関係がどのようなものか測りかねますが、決断を妨げる要因となっているのですから、そこに対しての何らかのアクションを起こし、その反応に対してまた新たに対応していってみては? ご両親二人そろって一度に話をするのが難しいのであれば、より本音を語りやすいほうからアプローチしてみたり、ご兄弟姉妹がいらっしゃるのでしたら協力を仰いだり、周囲に応援を頼むのも一つの手ではないでしょうか? もう一点。 「途中で投げ出すとこの先も投げ出してしまう自分になってしまうのではないか」についてですが、未来のことは誰にもわかりません。 「未来の自分」は、質問者様ご自身で決めることができるのではありませんか? 今回「やめたこと」を、「途中で投げ出したこと」としても、(私はそうは思えません。全く思い入れのないことに縛られて、他にある可能性、時間、労力、自分の心を犠牲にしていることの方がよっぽど愚かなことだと思います。「命短し」です。)今回の事を今後のご自身の教訓とすればいいだけのことではないでしょうか? 相談者様はきっと、真面目で我慢強く頑張り屋さんで、一度始めたことは最後まで必ずやり遂げなさいと育てられてきたのではないかと推測します。 世の中にはたくさんの物事であふれているのですから、取捨選択は必要です。 「ちょっとやってみたけどやっぱり合わないからやめよう」といった軽い感覚もこれからはご自身の中に取り入れられてはいかがでしょうか? 最終決定を下すのはご自身です。 笑顔になれる、明るい未来が想像できる選択をなさってくださいませ。 肩の力、抜いてくださいね。 以下、私の経験談や意見になります。 1 教員免許と教育実習 自分が実習に行った際も「教員になるつもりはないけれどとりあえず免許取得」というスタンスで来ている方々もおりました。教育実習生が全員本気で教員志望であるとは現場も思ってはおりません。実習期間中だけでも真摯に教師としての業務にあたれば生徒にも現場にも大きな迷惑をかけることはありません。ちなみに、私が教師一本に絞ったのは、教育実習を経てからです。それまでは普通に「就活」もしておりました。 卒業してから免許の取り直しは、ハードルがかなり高いと思いますので、とりあえず取得しておく、のもありだと思います。 しかし、取得に必要な時間・労力を、本当に興味があって好きなことに回すことだってできます。 ご自身とよく相談なさってくださいね。 2 健康状態と教職 心身共に様々な健康状態、また疾病を抱えた教員がおります。 視野欠損については、診断書を元に各都道府県の教育委員会が判断するでしょう。 「とっさの時に子どもたちを守れない」 素晴らしい心構えをお持ちですね。 ですが、たとえ健康な方でも、不測の事態に対応しきれないことはあります。 あまりお気になさらないように。 3 教職と求められる資質 私も質問者様同様、教職に就く前までは人前で話すことが苦手というか大嫌いでしたし、逃げてばかりおりました。 しかしながら、授業はできたのです。 もちろん緊張はありましたが、「教える」ことが楽しかったことと英語に自信があったことが理由だと思います。 日本の教員は、授業を提供するだけでなく道徳的意義に基づき生活全般の指導も行わなければなりません。 当然、子どもたちに様々な機会を通じて話をします、諭します。 この積み重ねによって、教員スイッチが入っているときは物おじせずに自分の意見を言えるようになりましたし、スイッチも自在に操作できるように。 経験を通じて身につく技術もありますよ。 質問者様はまだまだお若いです。 様々な経験をなさってご自分を磨き、新しいご自分との出会いを楽しんでくださいね。 4 絶対評価と相対評価 「変われたと思ったのは自分だけでした。」 まずは、「変われた自分」に拍手!! 温かく迎えましょう。 なぜ、否定的に捉えるのですか? 他者の評価など構わないではないですか。 変化の度合いなど人それぞれ。 あなたはあなたのペースで望む自分へと変容していきましょう。 180°急転換することもあれば、牛歩のスピードもあるのです。 良い話者は、よい傾聴者でもあります。 ご自分の意見をスラスラ言うことのできるメンバーは、傾聴力が乏しいかもしれません。 質問者様は、発言力、発信力が足りないと自覚していらっしゃるようですが、優れた傾聴力をお持ちではないですか? 至らないところを注視し研鑽していくことも必要ですが、ご自分の善きところにも同じように光を当て輝かせてあげてくださいね。 大変な長文になり失礼いたしました。 質問者様がご自分らしく輝ける進路を選択できますよう願っております。 まずは、ほっとひと息。 考えるのは中断して、お気に入りの飲み物でもいただきましょう。
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質問者からのお礼コメント
皆様、回答ありがとうございました。 ベストアンサーをどの方にしようか迷いましたが、元教師の方にさせていただきました。 両親とも話し合い、前期の履修している分はそのまま続け、後期に履修をやめることにしました。 皆様、どこの誰かもわからない学生の悩みに答えてくださりありがとうございました。
お礼日時:5/24 20:11