豊臣秀頼は幼い頃に大阪城に入って以来、ほとんどその外へ出た事は無く、秀吉の死後は既に徳川の世になっているにも関わらず、淀や家臣達に「世の中は豊臣の天下で、

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一番下の方が何か言われてますが、細川忠興の書状が全てを語っています。 「秀頼は乳飲み子なり、お袋様(淀殿)専制なり」 簡潔にして見事に忠興はまとめています。 20歳を超える秀頼を乳飲み子と評し、大坂城は淀殿の意のままであると。 まあ、浦島太郎ですよね。世間知らずの。

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近年そういう類いの説はあまり聞かれなくなっております。 従来は淀殿が実権を握っていたという説でしたが、近年は秀頼がしっかり実権を掌握していたという説が主流です。 大坂の陣の際に徳川への恭順と引き換えに豊臣の存続を計画していたことが史料等で明らかになっています。 大坂城の堀の埋め立ても従来の「徳川が騙して」埋め立てられたのではなく秀頼の承認済みであったことが発掘調査で明らかになっています。 しかしながら大坂城に集結した真田信繁率いる牢人を抑えることが出来ず、家康は秀頼ごと牢人衆を抹殺する命を下し、かの結末を迎えました

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