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2022/5/22 11:53

77回答

信長の尾張統一までの期間を考えるとそこから最大版図にするまでの時間が早過ぎませんか?

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ベストアンサー

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ちなみに信長が本能寺寸前に日本で掌握していた領国は28カ国で石高は787万石でゆうに20万の兵を動員できました。 これは日本の四割に達します。家康の勢力も加えればさらに増えます。 こんな状態になってはもう一伸び、二伸びで天下統一できます。

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周辺のライバルたちが勝手に弱体化した。 あと十年早く生まれたとしても、版図を伸ばす時間は大して変わらなかっただろう。運が良かった。

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織田信長が尾張統一をしたのは、永禄八(1565)年初めで、織田広良の犬山城を攻略した時です。 そして、同年九月からは「麟」の字を象った花押を使い始めました。 その後、稲葉山城を攻略し、名を岐阜城と改めたのは永禄十(1567)年九月の事でした。 信長が自分の領国を最大版図するためには、どうしても軍資金(矢銭)が必要です。 信長が尾張を統一し、さらには美濃、上洛戦を可能としたのは尾張の熱田などからあがる銭で、上洛してからは和泉国堺を抑えて軍資金(矢銭)を獲得しました。

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>織田信忠らの軍勢が武田を滅ぼし次は家康と共に北条との戦いを想定し 北条家は、天正八(1580)年三月、氏政が信長に使者を送り、信長に従属したと考えられています。 その時の条件が、①織田家が北条家の「関東八ヶ国」の領国支配を認め、②信長の娘が北条家に嫁ぐというものでした。 これは、『信長公記』の記事に書かれているだけで、これまではその信憑性に疑念が持たれていました。 ところが、氏政が三島大社に宛てた願文に、このことが書かれており、信憑性のあるものだと評価されました。 >織田信孝が長曾我部攻略のため四国遠征軍の四万の軍勢を準備し この兵力の根拠は何処にあるのでしょうか? 丹羽長秀・津田信澄・蜂屋頼隆が信孝に付けられましたが、それでも兵力は総勢一万四千と言われています。

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織田が急速に伸びた理由としては3つあります。 北畠を上手く乗っ取り、伊勢を支配できたこと。 浅井、武田、徳川と同盟出来た為に六角や三好に集中出来たこと。 三好政権が転覆してしまったこと。

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尾張統一 1564年 美濃統一 1567年 本能寺まで15年で残り。 やはり強固な地盤を手に入れたから早いんでしょうね。 武田信玄は信濃取るだけで43歳だし。

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美濃を攻略してからが早かったということでしょう。琵琶湖の水運を握って上洛を果たしたので、一気に当時の日本経済の中枢を押さえて大大名になり、近畿周辺の浅井・朝倉・三好・松永などの中小勢力では太刀打ちできなくなりました。

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