江戸時代になって、堺や浦賀にスペイン船が寄港するようになった理由は?
江戸時代になって、堺や浦賀にスペイン船が寄港するようになった理由は?
ベストアンサー
スペインが新大陸を超えてアジアに到達する西回り航路を開発したからです。戦国時代後期には、既にフィリピンがスペインの植民地になり、太平洋を横断する航路がありました。 教皇子午線の定めで、アフリカからアジアへの東回り航路は、対立するポルトガルの勢力範囲でした。日本に先にポルトガル船が来航し、後でスペイン船が来航する順になったのは、それが理由です。
戦国時代のスペイン船は九州の港に来ていました。 サン・フェリペ号事件で、スペインとは国交断絶。 江戸時代になって、堺と浦賀に寄港した理由は?
質問者からのお礼コメント
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が長崎奉行に命じてマニラ 総督との間で貿易再開の交渉をしたようですね。 それ以前に、マニラ~平戸の貿易があったのかは調査中です。 ■回答ありがとうございました。
お礼日時:5/25 9:25