長篠の戦いは「鉄砲の打ち合い」だったのですか? <これが知りたいです> 武田の鉄砲玉が銅玉なので織田に負けたのですか? □ <こんな回答がありました> □
長篠の戦いは「鉄砲の打ち合い」だったのですか? <これが知りたいです> 武田の鉄砲玉が銅玉なので織田に負けたのですか? □ <こんな回答がありました> □ 長篠戦いの時の武田家の武装の割合 鉄砲:弓:槍(長柄槍・持ち槍):馬=5:2:15:3 で兵力は15000人で鉄砲は3000丁 対する織田・徳川は35000人で3500丁 鉄砲の数では別段負けていない。 □ <こんな記述がありました> 当時の武田家の史料には、黒鉄玉くろがねだま(鉄玉)や青銅の玉の 記述ばかりで、鉛玉はほとんど確認されません。武田家は弾丸の確保 に悩み、遂に悪銭を鋳潰して鉄砲玉に転用しています。事実、武田方 の山城の調査で出土した青銅玉の成分は、当時の輸入銅銭の成分比率 と同じであり、銅銭が弾丸に転用された事実を裏付けています。鉛不 足は武田氏ばかりでなく、実は北条氏も寺の梵鐘ぼんしょうを鋳潰し て鉄砲玉に転用しようとしていたようです。こうしてみると鉛不足は 武田だけの問題ではなく、関東の戦国大名に共通した悩みだったとい う事が出来るでしょう。 ↑■鉄砲はあっても、鉛の確保が難しかったようですね。 <絵図では、鉄砲隊vs騎馬隊のように描かれています>
ベストアンサー
まず、銅や鉄と鉛の違いは融点の低さにあります。 鉛は350℃くらいで融解するのにくらべ、銅や鉄は1000℃を越えないと融解しません。 現代でも銅の弾丸などは存在しますが、戦国時代においてはとにかく量産に向かないのです。 1000℃出せる炉を作るにはそれなりの設備が必要ですが、350℃くらいであれば坩堝と木炭の直火でも出せます。 野戦の陣地でも簡単に拾い集めた潰れた銃弾を鋳つぶして銃弾を作り直せるのです。 銅や鉄では使い勝手が悪すぎるので基本的に使いません。 あと、鉄は比重が軽いので銃弾には向きません。 射程は長くとなると思いますが、貫通力が低すぎて意味がないです。 それでも武田の鉄砲に銅や鉄を使わざるを得なかったのは鉛を入手しづらいという事情がありました。 いちおう、金山での灰吹き法での金の精製の副産物で鉛は取れますが、とても足りなかったのでしょう。 織田家は南蛮貿易でメコン川流域産の鉛を大量入手できていました。
鉛は、灰吹き法の「副産物」だったのですか? <こんな記述がありました> 灰吹法(はいふきほう)は、金や銀を鉱石などからいったん鉛に溶け込ませ、さらにそこから金や銀を抽出する方法。 金銀を鉛ではなく水銀に溶け込ませるアマルガム法と並んで古くから行われてきた技術で、旧約聖書にも記述がある。
質問者からのお礼コメント
回答ありがとうございました。
お礼日時:5/25 8:54