田沼の政治目的は赤字財政からの脱却です。商業税の強化などはその手段であって目的ではありません。
田沼の時代、災害が多発して赤字になり、災害が多発しているので米などからの増収は無理な状況だったので倹約令などの伝統的な緊縮と合わせつつ米以外からの増収も試みました。
ですが、田沼が老中格になる前年は300万両ありましたが、田沼失脚直後の幕府の金蔵は81万両となっていました。以上の点から考えるに田沼の政治目的は失敗に終わったといえるでしょう。
また、田沼時代は前期と後期に分けられます。前期は老中首座松平武元と田沼意次ら幕臣が取り仕切きる田沼個人だけで主導権を握れなかった時期。なお今で言う田沼意次の成功政策を行った時期でもある。後期は田沼が独裁的な権力を握り政治を行ったが、そのほとんどが失敗ないし中止となった時期。
こうしてみると田沼個人の政策成果は少なくともそれほど多いとは言えずワンマンで大鉈を振るったときの方が成果を挙げてないことが見てとれます。
以上の点を踏まえ、田沼独力の采配の成功率の低さもあわせて田沼政治は失敗だったといえるでしょう。