古典文法の問題なのですが、現代語訳の“意味”が分かりません。
古典文法の問題なのですが、現代語訳の“意味”が分かりません。 古文)命こそかなひ難かべいものなめれ。 →撥音便を直した文) 命こそかなひ難かるべきものなるめれ。 という文の 現代語訳)命は思い通りになりにくいはずのものであるようだ。 この現代語訳の意味が分かりません。 “はずのもの”という言い回しと“であるようだ”がいまいち繋がりません。 分かりやすく言い換え、または具体例を教えていただけないでしょうか。 また、この「なめれ」の「な」は訳文からすると断定でしょうか?しかし、「めり」の接続は、終止ラ変体、つまり終止形接続が基本で、ラ変型の活用をする語にしか連体形には続かないはずです。 断定の「なり」は形容動詞型の活用型を持つので、その終止形「なり」にしか「めり」は接続できないのではないですか? 例文を直した文では「なる」で連体形なので、「な」はラ変型の活用型を持つ、推定伝聞の「なり」ではないのか、と思うのですが、間違っていますかね? 腑に落ちないので、教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
ご回答ありがとうございます。 命は思い通りになりにくいはずのものであるようだ。 というのは、 命は思い通りになりにくいものだ。と筆者は思っていたのに、"はずの" とあるから、 実際には、命は思い通りになってしまった、(“めり”とあるので、思い通りになっている様子を聞いてしまった)と伝えたいのでしょうか? "はずの"という表現は予想や信念が裏切られた結果になったときに使いますよね? 例)今回の計画は成功するはずだったのに。(成功しなかった) 考えていくうちに違和感の正体に気づいたのですが、はずの、とあるのに逆接が来ないのが違和感です。
ベストアンサー
「なり」は断定です 形容動詞型活用はラ変型活用にあたります(ラ変+連用形「に」) 命こそかなひ難かるべきものなり と強く言い切りつつ、最後に「めり」で和らげる言い方です 真意は「べし」ですが、読む者を慮って「めり」で婉曲に柔らかく表現しています
はず【×筈/×弭/×彇】 の解説 4 《矢筈と弦とがよく合うところから》 ㋐当然そうなるべき道理であることを示す。また、その確信をもっていることを示す。「君はそれを知っている―だ」「来ない―はない」 ㋑その予定であることを示す。「今日届く―になっている」 【"はずの"という表現は予想や信念が裏切られた結果になったときに使います】 あなたのこの語感は、上記辞書の4イの用例にさらに逆接の意が続く(明示的であれ暗示的であれ)場合に、その意味が現れます 常にその場合に使う訳でも、用例すべてにその意味が含まれるのでもありません 以上
質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:5/31 0:51