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七大寺日記の東大寺の現代語訳を教えてください

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一、東大寺 大仏殿 本尊は廬舎那仏である、 脇侍は二体で、如意輪(にょいりん)観音と虚空蔵(ふくうぞう)菩薩である、 繍仏(しゅうぶつ、刺繍の仏画)が二幅あり、聖尓見(観の誤りか)音(しょうかんのん?)、高さ六丈※である。不空羂索(ふくうけんじゃく)観音、ただし廿臂(20ひ=腕20本)、不思議な像である。 口伝(くでん=口伝え)では、柱の掛け絵は恵理僧都(852~935)の筆跡である。 四天王(脇侍二体と広目天、多聞天)と柱の掛絵などは見るべきものである。仏前の左右に鏡台が二基ある。その内左の鏡台には上方に鏡面があり、広さ三尺五寸(105センチメートル)ほどである。その鏡は海印三昧(静かな仏の心)の図である。正面から東に、瑪瑙盤(メノウの水盤)があり、四方それぞれ三尺五寸、厚さ六寸(18センチメートル)ある。(これは)見るべきものである。仏前に磬(きん、平板の仏楽器)がある。打ち鳴らして聞くべきである。片方の鏁(=鎖)の穴の近くで、特に響く音があり、聞くべきである。そのわけは解らない。また広い板の障子のようなものに、仏と菩薩の日記があり、見るべきである。西の庇(ひさし)に六尺(1.8メートル)ほどの青銅製菩薩姿の三体が立っていらっしゃり、見るべきである。また厨子が六合(ごう=棹、基)あり、東西にそれぞれ三合あり、高さ五尺(1.5メートル)ばかりである。扉の内側に絵があり、見るべきで、世間の人の伝えでは、(巨勢の)金岡の画筆と言う。しかし開いてみることは大変有難い(=難しい)という。また大仏の上の壇の四方の中心に、各々金字を以て書いた二行の文章がある。口伝に、弘法大師(空海)の御筆であるという。未だに真説を聞かなく、物語ばかりである。訪問すべきであるという。その文には、「東方に光明電王阿伽陁(=陀)王有り、南方に光明電王名刹帝嚕王有り」云々、このようにして西方、北方は主陀王、蘇陀戸(摩か)尼等云々と云う。また大仏殿の前の宇(?、床)に青銅の灯呂(灯籠)があり、高さ一丈余り(3メートル余)である。その様子は見るべきで、中でも半肉彫りの菩薩像と獅子の姿があり、たいへん妙(=すぐれている)である。 また中門の扉の落立(納まりの部分)は、これを見るべきである。また内側に行事の銅鑼※があり、面の広さ三尺ばかり(90センチメートル)、銅鑼の北面に須弥山形の絵図が書かれていて、見るべきである。中門の二天王像は見るべきもので、尋ねるべきである。東の山内に鐘楼があり、鐘は見るべきである。また羂索院の三昧堂の本尊と四天王、鬼神形などはみるべきである。ただしその中で本尊仏の後ろで戸に向かって北向きに立っていらっしゃる、執金剛神(しゅこんごうじん)は見るべきである。世の人は伝えて、将門合戦(平将門の乱、938・9)の時、(神像の)髻(もとどり)の左側の鬢と衣裳?が、平将門のために切り取られて、現に無くなっている。そうであっても、ついに平将門は(討ち捕られて)調伏(=教化)したので、たいへん優れた像であり、見るべきである。また門楼の閼伽井(あかい=仏様用の井戸)も見るべきである。世の人は、聖武天皇の御祈願により、若狭国遠敷(おにゅうの)明神が出したという香り高い水云々と伝えていう。また荒室という房屋があり、見るべきである。この支院は大仏殿の北側、講堂の東に、南北に一町に横たわる長屋があり、その長屋の南端から北に連なるのは第二房である。この茅屋は本来天魔悪鬼など先を争い、急病即死させたので、人が住むことができなかったので、荒室と名付く。そうしたところ聖宝僧正よくここに降られて、この長屋に出入りする東の小部屋の入り口の下に、赤い石で長さ五尺(1.5メートル)、はば一尺(0.3メートル)あまりを敷いて、願掛けして、我が門跡(=寺院)のこの部屋に住むものは、この石を踏んで出入りすべきで、(聖宝が降って)广(長屋?)を結界するのに敷いたのであるという。世の人は、その石はもとは元興寺にあった石で、僧正が独自に遥かに持って来られて、結界して例の戸門の下にお敷になったという。その後に移住したものには咎がなかった。もっとも見るべきである。 また講堂の丑寅(北東方向)に瓦葺きの建物があり亭(アバラヤ)と言う。その亭の石の唐臼は、名を碾磑(てんがい)と言う。差鍋という釜があり、大湯屋(風呂場)があり、戒壇院の扁額も見るべきで、弘法大師の御手跡という。未だ定説を聞かない。国分御門とは、西側の大壇(垣か?)に三門があり、北橋の門を碾磑御門と言い、中を中御門と言い、南端の五間(9メートル)の門は国分御門と言う。その門に額があり、金光明四天王護国之寺と書いてあるが、いまだに書いた人を知らない。だが伝える言葉では、弘法大師、または(小野)道風のごときで、かように未決定であるという。その額の左右に梵天四王の形を半肉彫りで作り、[これは間違いであろう=この(五)文字は上の★の個所に入れるべきか]その額の天の字彫りの様子は、言葉に出来ないものであり、最も見るべきである。 以上が東大寺の大略である。 ※先考新ミュンヘン娘さんに同感です。 ※六丈:丈六の間違えか? ※ササ=菩薩 ※行事の金:不詳、金は仏具の丸い楽器らしい ※初めの★の位置がわかりません ※同じ質問があったが https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12263667667