※それは、いくら否定しても否定しきれない事実(FACT)があるからですよ。
法律的に言えば、事実(FACT)を積み重ねていっても真実には、中々到達しない。しかしながら、真実相当性なら理解できる心の状態。
(仏法的には、さらにその上の真理だから、これは今の私には無理^^;)
運命とは、偶然の産物(うちはイタチの言葉)。
あらゆる状況を鑑みて、これを否定する=つまり合理的な理由が無いので否定する。自分の信じていることでも、物事を俯瞰して否定する。
これを何度も何度も、何十年に渡って繰り返す。
例えば
①体験発表、100あるうち99%、自宗派であれ、他宗派であれ、所詮他人の原体験なので、私とは状況や環境が違うので腑に落ちない。
(シックリこない)俗に千三つ(0.3%の法則)ですよ!
↓
自他300位の事例を体験したり・知ることになると1個は、どう考えても否定できない。これが、2~3個ある。
私の不可思議な原体験=これは心の底からではなく、「心の奥底にある感情」のこと。
②人格形成に必要な幼児期の原体験、さらに、宗教的な原体験
↓
勿論これも全否定する
↓
つまり、仏法は対機説法、
Aは、 Bに対して xと言った。
A1~A100 B1~B100 特定言語
(変数) (変数) (固定)
Bは、諸条件により〇〇(変動)と思った。
〇〇は、感性の問題、仏法的には、業(カルマ)のとらえ方の問題。
仏法の一念三千から観た解説もできるけれど、複雑になるので省略します。