なぜ、心の底から宗教を信じることができるんですか?

宗教 | 心理学204閲覧

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現実で信じられる人が自分(と家族など)しか居ないので、自分の頭の中に描いた人物像を神と呼び、敬う事にしたんじゃないですか。

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ブッダの教えの場合は、妄信・狂信的態度は戒められています。経にある言葉「信仰を捨てよ」を解釈するとそうなるかと。 論書にある言葉で言うと、「ブッダの教えは絶対主義ではない、還元主義ではない、本質主義ではない」ということであり、言い換えると、ブッダの教えは対機説法であり応病与薬である、ブッダの教えは科学ではなく要素を知れば全体が分かるというようなものではなく、何かの”本質”があると説く種類の教えではないとなります。

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※それは、いくら否定しても否定しきれない事実(FACT)があるからですよ。 法律的に言えば、事実(FACT)を積み重ねていっても真実には、中々到達しない。しかしながら、真実相当性なら理解できる心の状態。 (仏法的には、さらにその上の真理だから、これは今の私には無理^^;) 運命とは、偶然の産物(うちはイタチの言葉)。 あらゆる状況を鑑みて、これを否定する=つまり合理的な理由が無いので否定する。自分の信じていることでも、物事を俯瞰して否定する。 これを何度も何度も、何十年に渡って繰り返す。 例えば ①体験発表、100あるうち99%、自宗派であれ、他宗派であれ、所詮他人の原体験なので、私とは状況や環境が違うので腑に落ちない。 (シックリこない)俗に千三つ(0.3%の法則)ですよ! ↓ 自他300位の事例を体験したり・知ることになると1個は、どう考えても否定できない。これが、2~3個ある。 私の不可思議な原体験=これは心の底からではなく、「心の奥底にある感情」のこと。 ②人格形成に必要な幼児期の原体験、さらに、宗教的な原体験 ↓ 勿論これも全否定する ↓ つまり、仏法は対機説法、 Aは、 Bに対して xと言った。 A1~A100 B1~B100 特定言語 (変数) (変数) (固定) Bは、諸条件により〇〇(変動)と思った。 〇〇は、感性の問題、仏法的には、業(カルマ)のとらえ方の問題。 仏法の一念三千から観た解説もできるけれど、複雑になるので省略します。

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自分を信じれない弱い人。犯罪を犯しても神に縋れば許されると思っている、無責任な人達です。

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日蓮正宗信徒ですが、教義通りの現証(実際に起きること)を感じられたからです。