ID非公開さん
2022/6/30 23:37
5回答
カトリック信者の方々に質問があります。 プロテスタントは伝導をしますが(トラクト配布とか伝導集会とか)、カトリックがプロテスタントのような伝導をしないのは何故ですか?
カトリック信者の方々に質問があります。 プロテスタントは伝導をしますが(トラクト配布とか伝導集会とか)、カトリックがプロテスタントのような伝導をしないのは何故ですか?
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ベストアンサー
カトリック信者ですが。。。 伝導。。。日本のプロテスタント教会では、ミッション:missionを「伝道」としているので、多分こちらのことだと思います。 なお、日本のカトリック教会では、「宣教」を使っています。まあ、用語の使い方をはっきりさせておきたかったので、予めお断りしておきます。 まず、カトリック教会というより、初代教会ではキリストの直弟子とそれを引きついだ「司牧者(司教、司祭)」と一般信徒の役目ははっきり分けられていました。 それで、キリストから各地に赴いて「福音を宣べ伝えよ」と「宣教をする役目」を与えられたのも、「司牧者」とされていたんです。 聖書の中でも遠方へ宣教に赴いているのは使徒たちですよね。一般信徒が宣教をした話は出てこない。 これは中世のキリスト教世界でも同じで、宣教師となったのは司祭職の方々です。 なお、17世紀の反宗教改革でイエズス会を始めとした修道会の会員らが、宣教師として海外へ派遣されるようになった後は、司祭の他に修道士、修道女が宣教団を組んで、アジア、アフリカ諸国へ赴いていきました。 ところが、同じく17世紀に登場したプロテスタント諸教会は、カトリック教会の伝統的な習慣を全て捨ててしまい、「聖書のみ」「万人祭司」を主とした教義で新しく作られた共同体です。 この教義から、次第に「福音を宣べ伝える」役目は一般信徒にも与えられているものだ!とするプロテスタント教派が出てきます。 特に、「聖書に忠実」をうたい文句とする教派では、一般信徒に配布用資料を持たせて「伝道すること」が信徒の義務のように教えるところが多く出てきました。 もうお分かりのように、トラクトを一般信徒に持たせて、「聖書の記述どおり、福音を宣べ伝えてくるように」とする教会は、19世紀以降に登場した聖書逐語解釈(聖書の言葉は全て書かれた通りに解釈すること)を教義とするところで、歴史的にはかなり「最近に登場した教派」ということを判ってほしいです。 実はカトリック教会も20世紀の第2バチカン公会議で一般信徒にもミッションの役目が付け加わったんですが、この公会議は、カトリック教会の教義にプロテスタントへの歩み寄りが大幅に入ったもので、たぶん、その影響なんだろうなあ、と個人的に感じたりしていますがね。 ただ、カトリック教会は伝統的に、教育・福祉や奉仕活動を通じた宣教を心がけていますので、某プロテスタント教派のような直接的手法はしません。 ですから、一般信徒が宣教活動をしたとしても、宣教師たちの手伝いか、奉仕活動を通じたものになります。 なお、蛇足ですが、トラクト配布とか伝導集会、大音量のスピーカー伝道ってな手法は、その強引さが批判的に語られているように、マイナス効果の方が目立ってしまうのではないかな。。。と思います。 だれも受け取らないトラクトを手に持って街の片隅に建ち続け、「私は福音を宣べ伝えているのです。聖書に従っているのです」ってのはどうでしょうか。それよりも、興味のある方はどうぞ。。。的な配布法の方が効率よくないですか。と感じるのは私だけでしょうか。 私のようなひねくれものには、「私たちは、聖書に書かれている通りの福音伝道を行っているのだ!」と感じていたいだけの行動。。。とも映ってしまうのが残念です、
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ID非公開さん
質問者2022/7/5 21:01
回答ありがとうございます。 〉私たちは聖書に書かれている通りの福音伝道を行っているのだ! 自己陶酔の世界ですね。そう思ってしまうのもマインドコントロールされているようで怖いですが、そうやって信者をマインドコントロールしてしまうプロテスタントの福音派の宗教右派は怖いですね。 伝道されるのもはた迷惑、「あなたが救われますように!」よけいなお世話です。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:7/5 21:01