女性の和服と下着について。 和服の時代、女性は下着を付けていませんでした。 この理由は用を足すためだと考えました。どうでしょうか

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

尾籠な話でしたが大変ためになりました。みんなが目をつぶることもきちんと見なければと思いました。ありがとうございます

お礼日時:7/3 14:56

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西洋の下着とは違い、和服は湯文字・腰巻・裾除けなど、今は全て混同されていますが、そういったものが江戸時代以降は下着とされていました。(唐衣裳・十二単では、一番下に来たのが袴と単でこれが下着です。下級女房や一般庶民は袴は動きにくかったからか、小袖が長くなり裳の一種の褶を付ける様になった様です。) 洋服と下着が日本に入って来たのは明治時代ですが、下着のドロワース(ズロース)は、恐らく又割れだったと思われます。大きく広がったクリノリンや後ろを含まらせたバッスルスタイル等、トイレはどうするのかと思ったのですが又割れになっていて、縫われた物が出始めたのが1880年頃からだそうです。 ビクトリア女王は縫われた物ははしたないと生涯、又割れのドロワースだったたとか。(はしたないというのは、恐らく男性の穿くズボンと同じになるからでは、と思います。1960年代にイヴ・サンローランを始め、アンドレ・クレージュやピエール・カルダンがパンタロンルックを発表して、やっと女性のパンツルックが普通のものになりましが、2013年までフランスには女性のパンツ・ズボン着用禁止条例が存在していました。) 日本で作られたズロースは、あのような嵩張るドロワースとは違うかも知れませんが、ショーツと違い嵩張ります。又割れショーツは今も売っていて、昔穿かされましたが便利な様で実際にはちょっと、です。 白木屋の火災については長くなりますが、日本で女性下着がなかなか普及しなかった理由と一緒に書かれています。♯1もありますので、読んでみて下さい。 https://bunshun.jp/articles/-/19520

詳しい解説をありがとうございました。 用を足すためではないでしょうか。 中世の宮廷婦人も下着をつけていなかったと聞いています。パリの街も汚物にまみれたそうですネ。 ハイヒールの発達もその辺にあるとか。 「♪あなたの過去など知りたくないの~♪」と言う方が多いですね。

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現代の下着が存在していなかっただけ、です。 白木屋の話は、ネタとしては面白いのですが、残念ですがデマと証明されています。

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