ID非公開さん
2022/7/4 8:05
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鎌倉殿の13人を見て思ったのが、晩年の源頼朝は源氏があと20年で滅亡すると思ってなくて、北条義時にずっと源氏の繁栄を支えて欲しいみたいにお願いしてるシーンがありました。 -
鎌倉殿の13人を見て思ったのが、晩年の源頼朝は源氏があと20年で滅亡すると思ってなくて、北条義時にずっと源氏の繁栄を支えて欲しいみたいにお願いしてるシーンがありました。 - 同じように義時も、承久の乱で勝利して鎌倉幕府と北条氏の権威を確固たるものにしたときに、鎌倉幕府と北条氏が100年ちょっと後に滅亡することになると思わず、未来永劫ずっと栄えると考えてたものでしょうか? それとも、いずれは滅びるだろうぐらいには考えてた可能性ありますか? 同様に室町幕府や江戸幕府が出来た時も、足利尊氏や徳川家康は自分達の一族の天下が永久に続く信じて疑わなかったのか、それともいずれは滅亡するぐらいには考えてたのか、どっちの可能性が高いですか?
ベストアンサー
この大河では義時も「いずれ滅びる運命にあるだろう…」と思う、そんなラストになりそうな予感がします 例え元寇がなくてもこの時代の関東御家人達は一人一人が自分の領地や一族を守る為に平気で争いを起こす、そんな世の中だったからです 鎌倉幕府もまた、本来はそんな御家人達の頂点に立ち、押さえつけるように支配するような組織ではなく、御家人達の(主に)領地を巡る争いを調停する為の性格が強い組織でした 途中、鎌倉幕府は北条時頼、時宗の頃に独裁色が強くなりますが、その後元寇や「霜月騒動」を経て北条得宗家は逆に力を失い、得宗家の家来筋が実権を握ってしまう有様でした そして滅びます 室町幕府はそんな鎌倉幕府への反感から生まれた組織だったので、三代義満~四代に一時的に権力者になってしまったものの、その後衰退の一途、戦国時代が始まります 足利尊氏も足利家が独裁的な権力者になれば全国の武家の反感を買ってやがては滅びる、と言う事は予想していたのではないでしょうか この御家人(御家人と言う概念ができる前は各地の豪族)→守護や地頭、又は幕府に認められない豪族(悪党)→戦国大名…と言う流れは結局江戸幕府成立しばらく後に大名制度が出来てようやく全国の戦は収まります 徳川家康~秀忠~家光の時代にはもう全国の武士達の間にも「戦疲れ」の気分が少しずつ出来上がり、それを見越した徳川も「武家諸法度」を作り、武士達を支配していったのでしょう
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ID非公開さん
質問者2022/7/4 20:12