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2022/7/6 23:54

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仏教とは死を見つめること、諦めること、死後成仏することだと思うのですが、大病で闘病してる人にどうせ死ぬのだから頑張らずに諦めて死を受け入れて残り人生淡々と送れば良いのでは?

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質問者2022/7/7 1:39

後で全部読ませていただきます。

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>仏教とは死を見つめること、諦めること、死後成仏すること まず、論法がおかしいです。 たとえば、仏教は「諦める」ということだから、大病で闘病してる人に生を諦めろ的なことを言った・・・・ この場合の「諦める」というのは、仏教の目指すところですよね? つまり、それは「悟りの境地」です 大病で苦しんでる人に、いきなり悟りの境地を押し付けるのですか? 結果論だけ持ってくるのは簡単です たとえば、苦しんでいる人がいる・・・ 「苦しむのはしょうがないとあきらめて、受け入れればいいのではないですか?」 悩んでいる人がいる・・・ 「悩むのはどうしようもないから、悩むのを受けれ入れればいいのではないですか?」 こういうのはアドバイスとは言いません。 そして何が一番マズイかというと、ネガティブなものを受け入れるというのは、教えとして真実の部分もありますが、 「どうせ死ぬのだから頑張らずに諦めて死を受け入れて残り人生淡々と送れば良いのでは?」 >残りの人生淡々と送れば良いのでは? なんですかこれ? 苦しみを受け入れるということは、「苦しんでいること」を受け入れるということですよね 悩みを受け入れるということは、「悩んでいること」を受けいるということですよね つまり、ありのままですよ これは、真理の部分もあります 苦しみそのまま、悩みそのまま、というところが、真理の部分ですよね? 「淡々と残りの人生を送ればいいのでは?」 なんですかこれ? 理想の精神状態、結果論を、そのまま持ってきてますよね? 諦めきれない、淡々と暮らせないから、そこで仏教的なアドバイスがあるわけですよね? そこに、「諦めればいい」「淡々と暮らせばいい」と、人の命というものを、他人事のように軽く扱って、いとも簡単に諦めろだの、淡々と暮らせだの、それは相手は怒りますよ 足を事故で無くした人に、「足のことは忘れて淡々と暮らせばいいじゃないですか?」 って言ったら、残ってる腕で殴られますよ そんな簡単なアドバイスがあるわけないでしょ。 思いやりがない、思いやりというものがわからない 相手を思いやるという感覚が分からない、という感じが、質問からにじみ出ているような気がします

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質問者2022/7/7 1:35

私自身が車いすの身体障害なんですよ。 私自身がそういう考えに持っていき、別に寝たきりになろうが寿命までの暇つぶしと思い楽になれたんですよ。 それは健常者には解らないでしょうね。

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どうせ死ぬのだからというのは時期が違うだけで誰もが同じ条件だからです。 死を受け入れる準備するには時期が尚早である、或いは何かをするためにもっと時間が欲しいと思っている人に対して、どうせ死ぬのだからという理由づけは全く的を得ていません。

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質問者2022/7/7 1:37

私自身が身体障害者なのですが、ではどう言えば良いのですかね? 私自身は諦めることで楽になれましたが。 失った身体はもちろん治りませんのでね。

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仏教のたった一つの目的は、悟りです。 成仏とは死を意味しているのではなく、悟りを得ることです。 日本の葬式仏教を仏教のスタンダードだと思ってはいけません。 あれは江戸時代の寺請制度の頃に出来た悪習で、仏教とは元々関係がありません。 死者の前で読経しても意味はありません。 墓石を建立しても意味はありません。 卒塔婆を立てても意味はありません。

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質問者2022/7/7 1:38

スリランカ仏教の教えをよく聞いてます。