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人間失格 解釈について 人間失格の最後の「神様みたいないい子でしたよ」と言う...

abe********さん

2009/5/2516:31:19

人間失格 解釈について

人間失格の最後の「神様みたいないい子でしたよ」と言うのは
どういう作者の意図が込められていたのでしょうか?
お道化が完璧だった、と言う皮肉のようなものなのでしょうか?

個人的解釈で良いですので教えて下さい。

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17,618
回答数:
2

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ベストアンサーに選ばれた回答

not********さん

編集あり2009/5/2612:45:49

「救い」を象徴した言葉でしょう。

自らを客観した結果、得られるものは主観に過ぎません。
客観的に考えるとは、可能そうで不可能なのです。
別人の自我を拝借することは出来ないからです。
客観は、あくまでも非我からしか得られないのです。

これが、この悲劇的作品のキーです。

主人公は、幼い頃から人間を理解する事の困難を知ってしまいます。
つまり自我と非我の間に存在する無限の距離を感じ取ります。

それが主人公を他人から遠ざけていますが、
不幸な事に、主人公は他人からの愛も同時に欲しています。

それは、やはり安らぎを得たいからでありましょうけれども、
主人公は、自分で自分を見た結果得た「主観」が、
他人から自分を見た「客観」とは異なる事に気付けず、
人間を恐れる感情と人間を愛する感情の相克という、
悪質なジレンマに陥ってしまいます。

その結果、破滅的な人生を送ることになってしまいますが、
ありのままに他人の目から見た主人公(つまり客観)は、
「神様みたいないい子でしたよ」
というものだったのです。

主人公は、「他人から愛されるべき人間」だったのに、
自らにおびえ、自らを破滅させてしまった。

もしも主人公が、この言葉を素直に聞くことが出来ていたら、
特にこの言葉を父親からかけられていれば、
主人公の人生は違ったものになったのでしょう。

一般には、人間失格は太宰の遺書的な作品であると言われて居ますが、
(そうではないというのが、最近の研究での見解ですが)
自分を思い出す時に、人々(特に自分を知る人々)が
このように述懐してもらえるのであれば、という
太宰の思いがこもっているように思われます。

質問した人からのコメント

2009/5/26 19:12:03

その前の「お父さん~」の言葉はそう言う意味だったのですね。
詳しい説明ありがとうございました。感謝いたします。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mgt********さん

2009/5/2601:17:26

作者自身が自らを客観的に見て、情けない己に最後の「人間合格」を示したのだと思います。
太宰治はこの小説に自分を等身大にして、真の人間の在り方とは何かを伝えようとし、自らに人間失格を下しました。しかしこの小説の核心は「人間合格」であるための姿です。この本質を理解してもらうためにも、最後に他人から認められていることもあった自分に、ほんの少しの光を人間合格への糸口として書き残したのだと思います。

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