「人はなぜ生きるのか」、この知恵袋だけでも何百回も問われて来たテーマですが、こういうことを考えるようになったのは、近代的自我を持つようになった、ほんのここ200 年間ほどのことではないのですか。

補足

補足します。 ×こういうことを考えるようになったのは ○こういうことを「広く」考えるようになったのは

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2023/11/27 11:54

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「つまり、そういうことを知り・学んだ方々の一部が教育者となり子供たちにもそれを勧めたからでしょうかね」 これは言えていると思います。 ただ今回テーマにしたのは、同様の問題がより深刻に広範囲に及んでいるのではないかという問題意識もあってのことでした。 民族的伝統的なものと、近代合理主義の間で引き裂かれている現代日本人の自我の状況を想います。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:2023/12/1 8:00

その他の回答(3件)

日本の場合は、ここ78年でしょうね。それ以前は「お国の為」 という全体主義ですから。国に尽くすために生きるのが国民 という認識ですからね。しかし、欧米では中世以降でしょうか ら、ほんのここ200年間ほどかも知れませんね。 それ以前はその土地を有する領主や貴族に税金を納める為に 強制的に働かされるので「人はなぜ生きるのか」なんて考える 余裕はなかったでしょう。

人が、「自分は(人は)ばぜ生きるのか」ということについて、悶々と考えてしまう、また悩んでしまうというのは、アイデンティティー・クライシスといえ、自我の分離感が強くなったためだと思うのですが、どうでしょうか。 自我の分離感が強くなったというのは、近代になってからではないですか。

>「人はなぜ生きるのか」、・・・ そう思うようになったのは、少し生活にもゆとりが出てきた頃ではないかと推測します。 貧しく、生きるだけで精一杯の時に「人はなぜ生きるのか」という疑問すら湧かないものです。 >この知恵袋だけでも何百回も問われて来たテーマですが、・・・ この質問に正解は無いという事です。

正解は、あるかもしれないのに、読んでもそれが正解だということに気づけないだけだということも考えられませんか。 あと、生活にもゆとりが出てきたということが、直接原因であるとは、私は考えないですね。それは契機にはなったのかもしれないが(いや、きっとなったのでしょう)、直接的な原因だとは考えないです、私は。