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地元での河井継之助の評価は? 先日越後長岡に行って来ました。小じんまりと落ち...

doc********さん

2009/9/823:07:30

地元での河井継之助の評価は?

先日越後長岡に行って来ました。小じんまりと落ち着いた街ながら日本史上に残る人物を多く輩出した地域だけに底力を感じました。

山本五十六記念館と河井継之助記念館を訪れました。
地元の方と結構お話する機会があったのですが、山本元帥に関しては街全体が郷土の英雄として称えいる感じでしたが、河井継之助に関しては微妙な印象を受けました。
英雄として評価する人もいましたが、あえてコメントしない方や長岡が賊軍として扱われ苦労した、と語る方もいました。

小説やドラマなどで取り上げられることもある継之助ですが、長岡の方々の率直な気持ちはどのようなものなのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

yoh********さん

編集あり2009/9/1517:41:32

全国的には、なぜか河井継之助のほうが知名度が高いようですが、長岡では、戊辰戦争の敗戦により街が焼けたどん底状態から再建に尽力した小林虎三郎も高く評価されています。
むしろ、虎三郎のほうが功績がはっきりしているから、河井継之助より評価されているといえるかも知れない。

知らない人のために書いておくと、小林虎三郎は、例の小泉元首相が持ち上げた「米百俵」の話の主人公です。もともとは山本有三の戯曲「米百俵」で全国的に知られることになったわけですが、長岡にはかなり昔から「米百俵」というお菓子もあって(これは駅の構内にも売っていたと思う。日本三名菓のひとつ「越の雪」で知られる樋口屋のお菓子なのだ)、彼のことは、もとから市民なら誰でも知っているわけです。

そして、小林虎三郎を称揚しようとすると、河井継之助は評価しにくくなるという関係なんです。
なぜなら、戊辰戦争前に虎三郎と継之助とが対立することになって、継之助の意見が採用された結果、街は焼け野原となり、それを虎三郎が再建したという図式になるわけですから。

また、長岡ではよく、「長岡の街は二度も戦災で焼かれた」ともいいます。そのために江戸時代にはそこそこの大きさの城下町だったのに、藩政時代の旧跡はほとんどないんですね。
そして、このフレーズを使うときにも、そのうちの一度について直接関係している継之助には(そういう意味では山本五十六も残りの一度に関わっていないわけでもないですが、継之助ほど直接的な責任があるわけではない)、プラスイメージを抱きにくいことになります。

そういうわけで、地元であるがゆえにこそ河井継之助を単純に「偉人」とは評価しにくいところはあると思います。

追記:
そういえば申し遅れました。わたしは山本五十六が卒業した学校の後輩に当たります。

質問した人からのコメント

2009/9/15 22:39:44

長岡の方なのでしょうか?ご丁寧なご回答ありがとうございました。小林虎三郎のことは名前くらいしか聞いたことがありませんでしたが、焼け野原になった長岡を復興させた功労者なのですね。
また一人偉人の名をしることができました。

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ベストアンサー以外の回答

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fuj********さん

2009/9/1010:26:19

長岡出身の方を存じ上げていますが、
「長岡の生んだ二人の偉人 河井継之助 と 山本五十六元帥」
だそうです。

ちなみに田中角栄は「長岡の生んだ偉人」には数えられないようです。

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