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南蛮征伐に、時間と人をかけすぎじゃないですか?

loo********さん

2009/9/2911:59:55

南蛮征伐に、時間と人をかけすぎじゃないですか?

毒水や火計をくらっているのがじれったいです。

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fro********さん

2009/9/2914:55:53

確かに仰るように、
三国志演義での「南伐」の記載は「くどい」ですね。

「七度孟獲を擒にし、七度放つ。」の件も、
それまでに全体的にスピード感に溢れた戦いやストーリー展開に較べて、
じれったく感じられるのも解ります。

ただし、この作戦はあくまでも、
軍事制圧が目的でなく、安撫を主目的にして、
南夷の叛乱の基本的な解決を狙った
「攻心為上、攻城為下(心を攻めるを上策、兵を攻めるを下策)」
に基本政策を置いた遠征でした。

力による暴力的な反抗心を生む支配でなく、
心から恭順を誓わせるための作戦ですので、
電光石火の力攻めでは作戦の意図ははたせません。

演義ではだらだら(失礼)続きますが、
実際には、4~5ヶ月程度で作戦は終了します。

公元225年(蜀漢;建興3年)
3月:
諸葛亮、自ら兵を率いて南中四郡に南征。
東路軍は馬忠を司令に、牂牁(今の貴州省遵義市)から南下し、
中路軍は李恢が司令を務めて
益州郡(今の雲南省昆明付近)の反乱軍を鎮圧。
主将の諸葛亮は安上を経て越嶲郡に進攻。
反乱軍は蜀漢軍の進攻の前に分裂を起こし、
東路軍と中路軍は安撫工作を順調に展開。
反乱の首謀者が相次いで死去して、孟獲の孤軍奮闘となります。
5月:
廬水の南、滇池付近で三軍が集結。
孟獲と「七度孟獲を擒にし、七度放つ。」の故事に譬えられる戦いを経て、
孟獲の言葉 「公は天威なり、南人復た背かず。」によって、
実質南征は終結。
7月:
師を滇池に会して南中を平定。
12月:
諸葛亮成都に凱旋。
孟達の帰順の書を受け、北伐の準備を急ぐ。

夏の酷暑の未開の地での作戦です。
食中毒や水当たり,疫病等の辛苦は大変なものがあったでしょう。
曲靖付近に諸葛亮が刀で彫りつけたと伝えられる
「毒水」の石碑が立っているそうです。

その後、軍を駐留させず、統治には 「其の首領を之に用うる。」事を旨として、
自治権を与えて少数民族と漢民族の融和に努力をしました。
その為に中央政府の制御が及びやすい行政区を設計。
又、彼等を統治する行政官の人選にも考慮して、
南征作戦の司令を務めて南夷人の信望の厚い馬忠や李恢を派遣しています。

南への憂いを無くした諸葛亮は、いよいよ北伐に踏み切るので、
南伐を北伐のデモンストレーション、重要な準備期間と位置づけて、
三国志演義という物語にとっての、コーヒーブレイクと大目に見て、
少々じれったいでしょうが、許してやってください。

質問した人からのコメント

2009/9/30 07:09:38

感謝 はい。詳しい説明ありがとうございます。また、なにかありましたら、回答してください。

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