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お江、江与、二代将軍徳川秀忠の正室のことですが、 歴史のエピソードによると秀...

カナート さん

2010/1/2920:07:49

お江、江与、二代将軍徳川秀忠の正室のことですが、
歴史のエピソードによると秀忠はお江に尻に敷かれ、頭が上がらず、側室も満足に持てなかったとか。

しかし当時は戦国の世がやっと収束したばかり、未だ男の身勝手や専横わがままがまかり通る時代です。
秀吉の命で結婚した若いころは関白殿の後ろ盾、御威光もあったでしょうが、豊臣家が衰弱し、滅亡した後半生では正室とは名ばかりの、みじめな頭の上がらない立場を想像してしまうのですが、みなさんはどうですか?
なぜ、お江は一生正室として秀忠に側室をも許さない権威を持ち続けられたのか?
実家である浅野家は滅亡してしまっているし、豊臣家もしかり、母親方の実家である織田家もまったく実力を失ってしまっている。
そんな中でどうして?
よくある説の「秀忠はお江に惚れていた」とか「年上の嫁に圧されていた」なんて信じません。
だって戦国時代に理不尽にも殺されてしまったり、落ち度もないのに追放されたり、実家が没落したとかの理由だけで離縁される正室はたくさんいたのですから。なぜ江は力があったのか?なぜ?

補足正室は実家と婚家の間で外交官として重要な位置にあった。実家を失った正室は用のなくなった厄介者?しかしお江は違っていた。歴史に残る働きと地位を維持し続けた。秀忠が律儀者で堅物だっただけなのか?♪いえいえそうではありません♪
歴史の事実に注目しよう!

秀忠は菓子だけ戴くとは信じられん奴だねえ。せっかくの親のプレゼントが台無しだ。娘さんも女として大恥かかされて、実家の出世も拒まれて、立つ瀬が無いよ。

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ベストアンサーに選ばれた回答

肥後之介さん

2010/1/2923:32:00

秀吉の死後は、千姫(秀忠・江与の娘)が、秀頼と結婚してますので
この段階で、離縁とか惨めな立場にはなりません。

豊臣家が滅亡した後は、江与の子供7人 すべてが誕生してます。
跡継ぎの家光も誕生してますので、この段階でも立場は大丈夫と思いますが
跡継ぎを産んでも、離縁されることもあることを 考えると 安心ではないですよね。
思うに、徳川家が将軍になって 豊臣も滅び 徳川を脅かすものはない
・・となると、江与を離縁する意味もないです。
(上に誰かいると、「秀吉の養女なんて離縁しろ」とか
言われてしまう場合ありですが)

離縁だけじゃなくて、蔑ろにされるパターンを考えても
江与は跡継ぎを産んでるので そこまで、すごい状態にならないだろうし・・

側室を許さなかった・・というのも、憶測になります。
江与に力があるとか関係ない話かもしれません。

秀忠が、女性に淡白なだけ・・・とか。
「1人で十分だし。ゾロゾロ側室いなくても・・・」みたいな感じの。
秀吉や、豊臣家が健在だとしても 側室を持つのに憚りはないので
「秀忠が、女に淡白」
そう考えると、江与の死後も 継室・側室が登場しないのも 頷けます。

まあ、これも想像ですが。

秀忠の逸話で、家康が側室を進めようと 美しい娘にお菓子を持たせ
秀忠の元に行かせます。「大御所さまからの、贈り物です」という感じで。
秀忠は、お菓子だけ取って 娘を返した・・・という話。
やっぱり、女好きなら いくら嫁が恐ろしくても 当時の常識のような物で
側室持つだろうし。

長くなりましたが
淡白な上に、江与が十分魅力的なので こと足りる・・・ということで。
(子供の数からして、江与は魅力があったんだと思う)

質問した人からのコメント

2010/2/3 20:27:45

私の考えを言おう。お江与は最初は太閤秀吉のバックがあって、後世は各大名に嫁いだり、養子に行ったりした子供たちの存在で、自分の地位を保全出来たんだと思う。つまり当時の日本の上層階級に幅広いネットワークを築いて徳川家に貢献したんだ。
なんと言っても母親には頭が上がらない。かく言う私も女にゃ強いが、この世にただ二人、母親と娘には弱いんだよ。

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ベストアンサー以外の回答

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2010/2/117:59:36

腹黒い印象の強い徳川秀忠ですが、まあ、実際はそうではなかったということでしょう。ちなみに、於江は二人目の室で、性的関係にあったかどうかは別として、最初の正室は織田信雄の娘のようですね。すぐ離縁したそうですが。

於江に関しては、三度目の結婚ですね。最初の夫は、織田信長の甥に当たる佐治一成。幸せな結婚生活であったという話を聞いたことはありますが、小牧長久手で家康についたので、秀吉が怒り離縁させたといい、本人たちには関係なく無理やり離縁させられている上、今度は、秀吉の命で秀次の弟秀勝に嫁がされるも死別。そして、再び、秀忠と政略結婚をさせられているわけです。

まあ、親が親なので、於江さん自体、まあ、見栄えもよかったのでしょう。でも、しっかり秀忠の子供を産み、育て、正室としての役目を十分に果たした上、このような不幸な人生を自分の意思とは無関係に送らされている女性を悲しませることも秀忠には出来なかったのではないでしょうか。しかも、彼は、自分の父親が年増好みとあり、色々と人妻に手を出していることなども見てきて、そういう意味で、潔癖な面もあったのかもしれませんね。まあ、於江さんに権力があったとかそういう理由ではなく、秀忠の人間性によるものでしょう。案外、優しい人だったのかもしれません。弟たちへの処断は厳しいものもありますが。

ちなみに、後北条氏の家臣の娘やら、大工の娘という女性を見初め、保科正之を作っているので、女嫌いだったということではないようです。

tha********さん

2010/2/112:33:52

女性は政治の道具に利用されるばかりの存在だったのではなく、主人の出世の為の運命共同体で時には自分が重要な役割を果たすのですから(子を産む・時には人質)発言権も大きかったのです。

よく時代劇に見られるような女性像よりも、戦国時代から末期にかけては断然女性の地位は男子に匹敵するほどの発言権を持っていたので、違和感を感じるんじゃないでしょうか。

ましてや、家康の同盟者で兄貴分の織田信長が叔父なのですから、姉ほどではないにしろ心の片隅には自分は主筋だという自負心もあったんじゃないですかね。

san********さん

2010/1/3000:13:48

側室制度は、正室に子どもができなかった場合、家を絶やさぬためにつくられたものですから。
江は五人の女子と二人の男子を生みましたから、御台所として申し分なかったでしょう。
戦国武将にもいろいろありまして、上杉謙信のように独身を通した人もいましたし、山内一豊や前田利長のように正室との間に世継ぎがいなくても、側室を持つことを拒み、甥や異母弟を世継ぎにしたケースもありました。
英雄が必ずしも色を好むとは限らないということでしょう。

sin********さん

2010/1/2920:55:47

そんな事はない、会津松平家の初代保科正之は、秀忠と側室の息子である。

ata********さん

2010/1/2920:44:01

実は年上である事、三度めの結婚であること、等で控えめにしていた貞淑で物静かな人だったとの話しもあります。
我こそはとなってた時代で、秀忠にしてみればいつ自分だって兄のように殺されるか分からない時に、控えめで優しく母のような女性がそばにいたら、ぞっこんほれ込むだろう、って説です。
側室ですが、お江の方の前には出してはいませんが、それなりに持ってはいます。
まあ、ティーンエイジが優しい年上の女性にのめり込むのは、いつの時代でも起こってますので、不思議な事では無いと思います。
ほれちゃったら、そりゃ嫌われないように気を使うしかないでしょう。

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