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歴史のことについてです

金太郎さん

2010/4/1622:33:17

歴史のことについてです

山内容堂がなんだったかの会議?だったたかの途中、急に沈黙の状態になったと聞きましたがそれはほんとうですか?
たしか、西郷隆盛や岩倉具視もいたはずで、岩倉が短刀で刺し殺そうとしたときです(ちんもくになったのが)
こんな事件あったのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

rik********さん

編集あり2010/4/1702:02:22

本人の能力というよりも、部下の進言などで時流に乗れた君主というイメージのある人です。坂本龍馬が主人公の歴史小説では大体悪役ですし。

問題の事件ですが大政奉還後の明治政府樹立に関する会議に出席したときのことです。彼は一応維新を進める側でしたが、いっぽうで過去の恩から徳川家のお家存続・新政府参加も望んでいました。

ところが会議は徳川家をハブにしたい薩摩や長州主導で進められていきます。これに山内容堂は不満を訴えるのですが、大酒を飲んで(酒乱状態だったと言われる)出席したうえで失言をしてしまいます。

「2、3の公卿が幼沖の天子を擁し、権威を欲しいままにしようとしている」

つまり、「数人の公家が幼くて判断力も無い天皇を言いくるめて、好き勝手をやっている」と言うのです。この「幼沖」という言葉を、山内容堂が暗に批判していた公卿岩倉具視(旧500円札の人)に突っ込まれます。

「天子様に対し『幼沖』とは何事か」

天皇に対し不敬とも言える言葉を使ってしまった山内容堂は岩倉に面罵されても何も言えず黙りこくってしまい、その後の話は薩摩・長州主導で進んでしまいます。

尚、短刀で云々~という話は聞いたことがありません。

質問した人からのコメント

2010/4/23 18:58:33

ありがとうございました!!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2010/4/1622:54:13

大筋で本当でござる。

慶応3(1867)年12月9日の小御所会議でござる。山内容堂が王政復古の大号令を公家の陰謀だと非難したのです。それに対し、岩倉具視が「天子に向かって幼沖とは何事だ」と一喝。以降山内容堂は沈黙の人となり、山内容堂ほったらかしで会議は進行していきました。それまでは山内容堂は幕府擁護の立場で論陣を張っていたのですが、西郷隆盛にもうお前は黙ってろといわれてしおしおでした。岩倉が刺し殺そうとしたのではなく、そんなこと言い続けていると山内容堂の命が危ないぞと西郷隆盛に諭されたといった話です。

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