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干支についてお聞きします!が 馬とか虎には何年かに1度 豪の虎?→無知ですいませ...

ryuto5152002さん

2010/7/910:01:16

干支についてお聞きします!が 馬とか虎には何年かに1度 豪の虎?→無知ですいません、、
いつの歳にあったんですか? 馬と虎しか私は知りませんが他にもあるなら教えてください!
あと 何年生まれの人とか出来れば分かりやすくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2010/7/915:18:15

生まれ年の言い伝えですね。ご質問の 「ごう(強)のとら(寅)」 は、「ごおう(五黄)の寅」 が訛った言い方とされています。

「五黄」 とは、「九星(きゅうせい)」 と呼ばれる、古代中国の民間信仰に基くもので、「一白(いっぱく)・二黒(じこく)・三碧(さんぺき)・四緑(しろく)・五黄(ごおう)・六白(ろっぱく)・七赤(しちせき)・八白(はっぱく)・九紫(きゅうし)」 の9つです。

「五黄の寅年」 とは、この 「九星」 を年ごとに割り振った 「年の九星」 と 「十二支」 を組み合わせたものです。この年の生まれの人は気が強いという言い伝えがあり、そのため、この年に女の子が生まれるのを忌む風習があります。

「五黄の寅年」 は36年に1回あり、前々回は1950年、前回は1986年、次回は2022年です。

もう一つは 「丙午(ひのえうま)」 ですね。これは、「十干(じっかん)」 と 「十二支」 を組み合わせたものです。

「十干」 とは、「甲(こう・きのえ)・乙(おつ・きのと)・丙(へい・ひのえ)・丁(てい・ひのと)・戊(ぼ・つちのえ)・己(き・つちのと)・庚(こう・かのえ)・辛(しん・かのと)・壬(じん・みずのえ)・癸(き・みずのと)」 の10種類で、これも古代中国から伝わった考え方です。

「丙午(ひのえうま)」 の年に生まれた女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、短命にしてしまうという言い伝えがあり、この年の出産を避ける風習があります。「五黄の寅」 より、よく知られているかもしれません。

「丙午(ひのえうま)」 は60年に1回あり、前々回は1906年、前回は1966年、次回は2026年です。

私達は 「えと」 を 「干支」 と書きますが、これは、「十"干"」 と 「十二"支"」 を表しています。現在私達が日常会話で 「えと(干支)」 と言う時は、殆どの場合 「十二支」 を指していると思いますが、元々は、 「十干」+「十二支」 で 「えと(干支)」 とされていました。

日本史や世界史で、「壬申(じんしん)の乱」 「戊辰(ぼしん)戦争」 「辛亥(しんがい)革命」 などを習った覚えがおありだと思いますが、これらは皆、その出来事が起こった年の 「干支」 をとって名づけられたものです。また、60歳を 「還暦」 と呼ぶのも、「干支」 が60年で一巡する事に由来しています。

質問した人からのコメント

2010/7/9 23:52:01

感謝 皆さんとても分かりやすく\(^O^)/ありがとうございます!西暦を記載して頂いてすごくわかったのでベストアンサーさせていただきます。

ベストアンサー以外の回答

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2010/7/913:47:38

干支は十干と十二支の組み合わせで全部で60あります。
甲乙丙丁などが十干で、子丑寅卯などが十二支です。
甲子(甲子園はこの年にできました)・乙丑・丙寅などの
ように組み合わせ、癸亥で終わります。うまは午で、とらは寅です。
今年は庚寅年ですが、12年ごとに壬寅・甲寅・丙寅・戊寅年があります。
庚寅年に生まれた方は次の庚寅年がくれば還暦となります。

ゴウのとら(強の寅・豪の寅)と言われる物は、五黄の寅から来ているとされます。
一白水星 二黒土星 三碧木星 四緑木星 五黄土星 六白金星
七赤金星 八白土星 九紫火星を九星といいますが、
これを十二支と組み合わせた場合、性格がきついとか女性なら男を
食ってしまうというのですが、これはもちろん迷信です。
五黄は九星の中心であり、寅はつよいということからの連想でしょうか。
9×4、12×3の36年毎に五黄の寅年となり、いつであったかは先の
回答者さまのおっしゃるとおりです。

ひのえうま(丙午)は干支で60年毎です。
十干十二支には五行(木火土金水)というものが当てられています。
木の兄(きのえ)は甲、木の弟(きのと)は乙、丙は火の兄になります。
一方、午も火性になり丙午は火+火になります。
このことから気性が強いとされるのですが、丙午の迷信は
江戸時代の八百屋お七のお話に結び付けられています。
火事で焼け出された避難先で出会った恋人にもう一度会いたいが
ために放火をし、火あぶりの刑に処されたという若い娘さんです。
八百屋お七が丙午年生まれである(実際は違うようです)という伝説から
、丙年生まれの女性は男を食い殺すとされたのですが、
五黄の寅や丙午の迷信が目だって流布されだしたのは、高島暦などの運勢暦本が
盛んになりだした戦後のことではないかと思われます。
明治39年の丙午年でもわずかに出生率は低かったようですが、
際立ってに低かったのは昭和41年(1966年)です。次の丙午年は60を足してください。

xmdyr183さん

2010/7/912:56:37

五黄の寅(ごおうのとら)ではないですか。
大正3年、昭和25年、昭和61年です。36年毎にやってきます。
http://homepage2.nifty.com/orangemikan/5-1%20goounotora%20.html

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