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大阪の陣の前に豊臣側の有力大名の殆どが怪死したのは家康が命じて殺したのでしょ...

あじぇんでさん

2010/9/2114:01:00

大阪の陣の前に豊臣側の有力大名の殆どが怪死したのは家康が命じて殺したのでしょうか?


また、殺されたとしたら実行者は伊賀忍者なのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

mar********さん

2010/9/2204:37:28

大坂の陣の前に死亡した豊臣恩顧の有力大名といえば
加藤清正、浅野幸長、池田輝政でしょうか。

それぞれの死因は池田輝政は中風(脳血管障害)
加藤清正と浅野幸長は花柳病とのことですが
これは性病のようですね。

性病の中でも当時の致死率が高い梅毒でしょう。
これは罹患してから死に至るまで10年くらいなので
これを2人の死亡年から逆算すると
朝鮮出兵中と重なります。
この陣中に遊女と接触して罹患したというのが
状況証拠としては説得力が強いようです。

これらの有力大名の死が徳川家に豊臣家の武力討伐を
決心させる後押しになったとは思います。
ですが家康による暗殺説は
豊臣恩顧大名の死亡と大坂の陣のタイミングだけ見れば
そう思えなくもないですが、
やはり後世の後付けというのが本当のところに思えます。

忍者を使った暗殺説は小説にも登場しますが
忍びで戦国大名を暗殺できるものなら
莫大な経費がかかる合戦など一切起こらなくなるでしょう。
時代劇や小説で言うほど君主の暗殺は容易ではなかったはずです。

下の方のおっしゃってる毒まんじゅう説は江戸時代から伝わる
有名な話でもあるようですね、歌舞伎にもなったそうです。ですが
加藤清正の没年が1611年6月24日、
平岩親吉の没年が1612年1月12日と
半年以上も離れているので
同じ遅効性の毒を食べたにしては間隔が空きすぎているために
やはり俗説なのかと思われます。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

zun********さん

2010/9/2118:12:17

流行り病という説もあり、こちらのほうが自然という気もしますが、
実は毒殺説も有名ですね。

その中での実行者は、平岩親吉という老臣となっています。
これが今日にも伝わる「毒まんじゅう」という語の謂われとも
聞きます。

なんでも、相手の警戒を解くために自分も毒入りを口にしたと
されており、実際に平岩も間を置かず亡くなっているそうです。

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