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ミッドウェー海戦で戦死した南雲忠一中将のことで質問です。 ミッドウェーで破れ...

kus********さん

2010/9/2711:37:40

ミッドウェー海戦で戦死した南雲忠一中将のことで質問です。
ミッドウェーで破れ無能や愚将とも呼ばれる南雲ですが本当でしょうか。
南雲中将って人がどのような人か教えてください。

あと南雲機動部隊ってのは第二次世界大戦中の日本軍の中で一番活躍したと聞いてるんですが本当でしょうか。
南雲機動部隊の指揮は南雲中将が執ってたんですよね。
ミッドウェーには山本五十六大将もいたと聞いてるんですが本当ですか。
本当でしたらなぜ南雲中将にミッドウェーを任せたんですか?

補足南雲は本当に愚将だったんでしょうか?
もしそうだったらその愚将の部隊が活躍したんでしょうか?

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ths********さん

2010/9/2816:25:36

訂正
南雲忠一はミッドウエー海戦では戦死していません
1944年のサイパン島攻防戦で自決しています

南雲愚将論は主に

1真珠湾攻撃で第2次攻撃を仕掛けなかった
2ミッドウエー海戦での敵空母部隊発見後の指示のまずさ
3南太平洋海戦での消極性

が挙げられますが


真珠湾攻撃は奇襲が前提であり米軍が体制を立て直している第2次攻撃は効果が期待できない
第2波攻撃で既に加賀艦爆隊などに大損害がでており続けて攻撃すると航空隊に多大な損害が生じ以後の作戦に支障が出る
また空母の搭載する航空弾薬自体それほど残っていないしたった6隻の空母で真珠湾の施設を無効化できない
燃料施設を破壊したとしても燃料はアメリカ西海岸の要港やオーストラリアにも備蓄されており米艦隊が1年間行動不能になるなんてことは起こらない(不便にはなるが・・・)
燃料施設自体日本軍は作戦立案時点で攻撃目標として優先度を高くしておらず(当時は石油地下備蓄技術が導入されつつあったことから施設はダミーだと判断していた)攻撃しなかったのは南雲の判断ミスというより立案した連合艦隊司令部のミスだろう
逆に「作戦目的を達成したのにそれ以上の戦果を求める」事は逆に自軍を不利にする事になり用兵家として戒める行為です
日本軍には不在だった米空母の所在が掴めていなかった以上リスクを冒して攻撃を続行するのは愚将のする行為です
(ちなみにこの時山口2航戦司令が攻撃続行を具申したというのは事実ではなく催促したのみです)


ミッドウエーで敵空母発見の報を受けた時点で4空母の兵装転換は実はそれほど進んでおらず(赤城、加賀で9機ずつ終了、蒼龍、飛龍では兵装転換すらなされておらず格納機は未装備状態)飛行甲板には艦載機はならんですらいませんでした
ここで山口氏の具申を採用していたとしてもすぐさま出撃させれる訳ではないので1時間近く待たねばなりません
この間ミッドウエー攻撃隊は燃料切れで不時着水し全機損失するし直掩に全戦闘機を出していたので護衛が付けられず史実以上に空母攻撃隊は大損害を受け、既に敵攻撃隊は出撃してるので味方空母も失い戦果も大して変わらなかった可能性が高いです
逆に南雲の慎重策だからこそ空母4隻は失いましたが熟練搭乗員は殆ど生還し(総数500名弱程のうち戦死者は110名ほどのみ)続く戦いでも日本軍は戦えたのです
山口策を採用してたら結果は変わることなくより日本軍は損害を被りガダルカナルの戦いはあっという間にアメリカが勝利していたでしょう
彼の行動が「愚策」とは専門的にみてとても思えません


手持ちの航空戦力を出しきり被弾した状態の旗艦を後方に下がらせるのは当たり前の行為では
「指揮官先頭」という日本海軍の精神はあくまで「心構え」として持つべきもんで「より大損害をこうむるリスクを冒してまでもやれ」というもんではないです
4発の爆弾を喰らい空母としての機能を喪失した翔鶴を囮として残して、もし失ったら日本海軍にとって史実以上の大損害です

また何の為に次席指揮官がいるんですか
こういった状況こそ次席指揮官が代行して指揮をとり南雲が戦線離脱して損傷した旗艦を変更して戻ってくるまでの間に指揮を執るのです
当時は角田2航戦司令がそうでした
彼が乗艦準鷹を前線に突入させたのは次席指揮官として前線の機動艦隊と合流するという目的もあったのです
これも愚将という評価につながる行為とは思えません


こういった愚将論を唱える際に対照的に出されるのは常に攻撃的な意見です
しかし日本軍の敗因の多くが積極的攻勢にでた結果多くが無謀な攻撃となり大損害を被り前線維持ができなくなり敗走というパターンが多く積極策=良策ではないというのが判っていません

第一南雲氏の作戦での失敗はミッドウエー海戦ぐらいでこれもどちらかと言えば不運だったと言えるような敗戦です

彼は航空戦に素人であった分、専門の参謀や現場の航空指揮官の意見をよく汲み取り作戦に取り入れたので(それが淵田美津男氏などには優柔不断に見えたのでしょうが・・・)太平洋戦争に参加した日本海軍の提督で一番の戦果を挙げた提督になりました
(空母3隻[ヨークタウン・ハ―ミズ・ホ―ネット]、戦艦4隻[カリフォルニア・オクラホマ・アリゾナ・ウエストバージニア]巡洋艦等も多数撃沈)
対照される小澤治三郎氏は知識がある分現場の航空指揮官の意見を聞かず現場無視のアウトレンジ戦法なんてした結果マリアナ海戦で大敗しました
彼自身の航空戦での戦果は南雲に大きく劣り損害はそれを上回っています

軍人は結果が何よりも求められる以上、南雲を愚将とはいえません

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new********さん

編集あり2010/10/319:51:52

海軍の人事システムの犠牲者です。

よくゲームや小説、漫画でミッドウェイに勝って

ハワイ→アメリカ東海岸→パナマ→アメリカ西海岸

なんてありますが実際は上手くいきません。
ハワイはすんごい防御力ですので下手に攻めると痛い目を見ます。

ミッドウェイよりろこうきょう事件(漢字忘れた)の時の陸軍の司令官が牟田口じゃなかったらどうなっていたかのほうが重要だったりします。

後、よく学習漫画でミッドウェイがターニングポイントといいますが
実際はその後のガダルカナルの辻政信のやった事のほうが痛いです。

因みにミッドウェイの時南雲中将自身が赤城を操縦したら魚雷をすいすいかわしたとか?

kan********さん

2010/10/300:20:37

まず、南雲中将はサイパンで自決されています。
そして、全く無能ではありません。南雲中将は砲術専門であり、小沢さんや山口さん、山本元帥のように航空家ではありませんでした。ですが、真珠湾攻撃にあたり、はるばるハワイまで敵に発見されることなく、航海するには、南雲中将しかいないという理由で任命されています。その後、指揮官をかえればよかったんですが、真珠湾の功績や、任務に忙しく、変えることは難しかったとおもいます。
それに、参謀陣に航空家が揃っていたので、「まあ、大丈夫だろう」といったとこがあったように思います。
以上のことから南雲忠一中将は愚将ではありません。

fel********さん

2010/9/2722:31:26

ボクは小学生でしゅが…

愚将どころか、しょもしょも戦場に出れるタマじゃないでしゅ。

赤城に急降下爆撃機の爆弾が命中した時に失禁しゅたなんて問題外でしゅ。(腰もぬかしゅたので幕領の肩を借りて旗艦を移乗しゅたのも噴飯モノ!でしゅ。)

編集あり2010/10/302:03:27

突っ込まれる可能性ありますから、質問者様の質問を訂正させて頂きますと、南雲忠一中将はミッドウェー海戦では戦死していません。恐らくは山口多聞少将の間違いではないかと思います。南雲中将はミッドウェー海戦の後、サイパン島攻防戦で割腹自決したとされています。

南雲中将は元々水雷の専門家(巡洋艦や駆逐艦を運用し、魚雷で敵を攻撃する戦法の専門家)でしたので、航空戦術については理解が少なかったとされています。というよりも、真珠湾攻撃の時期に、航空母艦を主軸とする艦隊を運用する(いわゆる機動部隊)という新しい戦法はまだ一般的ではなく、真珠湾攻撃やマレー沖海戦でその有効性が証明されたくらいでしたので、南雲の真珠湾攻撃の攻撃不徹底や,ミッドウェー海戦での失敗の責を問うのは酷ではないか?南雲の采配を補佐する立場にあった航空戦に明るいと評価されていた草鹿竜之介参謀長を初めとする航空参謀の無能さを指摘するべきではないか?という『南雲同情論』も存在するそうです。

そういいながらも、太平洋戦争(大東亜戦争)の前半期において、短期間でありましたが連合国海軍を駆逐した南雲指揮下の機動部隊は最強であったと評価しても良いでしょう。

ミッドウェー海戦の総司令官はご指摘の通り山本五十六連合艦隊司令長官で、南雲航空艦隊の後方を戦艦大和を初めとする『戦艦部隊』を指揮しながらついて行っていました。南雲の機動部隊はある意味『戦艦部隊の露払い』の役目でした。

さて、南雲は愚将かどうかですが、ミッドウェー海戦の際に見せた失敗・後に起こる南太平洋海戦での消極的な指揮・サイパン島でさっさと自決してしまい、後の指示を出さなかったことが民間人の大量自決に繋がった点から、『愚将』としての評価は多いです。

ですが後に南雲に接した人物の本を読むと、部下思いで人の命を大切にし、冗談でその場を和ませる雰囲気のある人物でったようです。また操艦(船舶を運転する術)の達人で、ミッドウェー海戦では艦長に代わって空母赤城を操艦し、敵の爆弾を上手く回避しています。

こんな逸話があります。戦艦金剛に初めて乗艦した士官候補生に訓辞を述べた際

「君たちが乗艦した金剛は、明治時代に産まれたおばあちゃんである。若い君たちがおばあちゃんに乗らないといけないとは…初めてがババアだとつらいだろうな」

と下ネタを含んだ内容を話して笑いを誘い、候補生の緊張を解きほぐしたのだそうです。

結果論から観れば南雲は『愚将』でしたでしょう。しかし彼の本来の専門である水雷艦隊を率いさせていれば若しかしたら名将になっていたかも知れません。

boa********さん

編集あり2010/9/2712:11:45

死んでないよ。南雲さんが戦死したのはサイパンの地上戦です。

無能も何も、彼は駆逐艦を使った魚雷戦の第一人者であって、航空は素人でした。作戦は一言居士の航空専門の参謀に任せるしかありませんでした。
南雲さん本人が望んだのでも、山本さんが推したのでもありません。軍令部と海軍省が年功序列で割り振ったら、彼が機動部隊に当たってしまったのです。

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