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薩摩藩において罪人の「日向送り」とは流罪ではなく大隅国と日向国の境の都城あた...

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ID非公開さん

2005/6/1118:25:41

薩摩藩において罪人の「日向送り」とは流罪ではなく大隅国と日向国の境の都城あたりで殺害する刑だったのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

biy********さん

2005/6/1120:55:25

薩摩藩の罪人を追放(流罪)するのに日向地方に送るのではなくて、薩摩藩には9ヶ所の関所と約90ヶ所の辺路番所が在りましたが、ここで入国を許された人(浪人・僧侶・医師など)は麓郷士が案内役として宿へ護送案内し、次ぎの宿までは、また地元の郷士が護送しました。
目的が申告と違った場合、あるいは不審な行動が見られたら上役の判断で日向方面(霧島講などに誘い)に案内して殺害した。このように他国の人が藩内を訪ねる時は案内の郷士が、どこまでも送るので{送り}なのです。
関所で入れないのは(大道芸人・行脚・狂言者・一向宗徒)でした。
薩摩領内の罪人の追放とは、城下士~郷士~本百姓~水呑み百姓~えた等と、本来の門(カド)、方限(ホウギリ)から1ランク下の生活場所への追放でした。
また藩士の「流罪{送り}」とは「島送り」の刑です。何しろ離島はたくさんありましたから。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

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ID非公開さん

2005/6/1100:44:37

罪人は貴重な労働力になりますので、殺害はしないでしょう。でも死ぬまで強制労働が続く事になり、過酷な日々を送る事になったと思います。主に、森林開発や土木作業の地獄が待っていた事でしょう

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