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難しい言葉使ってる人って…

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ID非公開さん

2010/10/2001:21:29

難しい言葉使ってる人って…

自分に酔ってますよね?哲学者とか、思想家とか…

本読んでいても、まったく頭に入ってきません。
冗語法習ってるみたいです。

哲学って人によって言い方違うだけで、元をたどれば、全部言葉遊びの類だと思いませんか?

補足結構叩かれると思ってたのですが、分かってくれる方が多くてびっくりしました。

よく子供の質問が鋭いっていいますよね?でもあれが普通の感覚で、いちいち言葉を抽象化して、それが現実と乖離しているのにも気づかずに言葉だけが先走りしている気がするんです…

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ベストアンサーに選ばれた回答

www********さん

編集あり2010/10/2019:24:19

「『社会的共同体の個々の成員は、しばしば自分の情報を視覚的、象徴的回路を経由して受け取る』私は何度も読み返し翻訳した。どういう意味だったと思われるだろうか。『人はものを読む』と言うことだったのだ。」

とリチャード・ファインマンも書いてますね。

このような冗長な書き方の利点は
1.中身が無くても、一部の人からは賢いことを言っていると勘違いしてもらえる
2.抽象的すぎてどのようにでも解釈できるので、批判を受けた場合には「いやそういう意味ではないのだ」と言い逃れしやすい。言い逃れしやすいので極端なことも言える。
3.極端なことを言えばインパクトがあるのでさらにファンや弟子が増える。ファンや弟子は批判に対して積極的に「そういう意味ではないのだ」論法で守ってくれる。
ですね。

確かに一部の哲学者や思想家にはこういう傾向が見られますよね。ポストモダン哲学がこれで批判を浴びたのはもう10年以上前ですね。ポスモダ哲学以外にも文芸評論、文学理論、社会論、文化論、社会学におけるテクスト分析…現代思想の主な分野にこの傾向が見られるのではないかと思います。ただし哲学は非常に広い分野ですから、すべての哲学がそうだというわけではありません。分析系の哲学は曖昧さを嫌うので、もっとずっと読みやすいはずです。(分析系と言ってもテクスト分析とは違います。科学哲学とか)

中身のない主張と中身のある主張を見分けるにはどうしたらいいか?これ意外と簡単。どんなに難しい科学の専門的な理論でも、それがどういう意味か、何を説明する理論なのか、それによってどんな発見があったかを中高生でも理解できるように100-200文字で説明できます。これは哲学・思想でも同じ。中身が無くて単に冗長なだけの「理論」は、簡単に説明してしまうと中身がないことがばれてしまうので、入門書でも難解で抽象的に書かざるを得ません。

だから
1.入門書を読んでもよくわからない(その入門書の質が悪かったり、実は中級者向けに書かれている場合は別)。
2.弟子やファンの間でも言っていることが違う。解釈が異なる。弟子の間で解釈を巡って議論が起きる。
のどちらかに当てはまるなら怪しいと考えたほうが良いでしょう。
原書を読む場合には
3.専門用語が定義なしで使われる
4.定義つきで使われた用語でも、別の場所ではなんかちょっと違う意味で使われてる
あたりが要チェック項目ですね。

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質問した人からのコメント

2010/10/22 10:22:48

問題の核心を突いたこの回答をベストアンサーとします。
確かに専門分野にはそれ特有の言葉があり、それは簡単に話すと長くなるものを抽象化して使いやすくするためのものです。しかし、哲学は、元々人の考えや感覚そのものが対象となっているのであり、それを難しい言葉でかたると余計に見えにくくなるのです。なので哲学を語るときは、単純化とか話し言葉がデフォルトで良いんじゃないかと思います。

ベストアンサー以外の回答

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ill********さん

編集あり2010/10/2113:47:18

「読書百遍義自ずから見る」(「魏志」王粛伝注董遇伝)

kir********さん

2010/10/2017:07:59

調子こいて、そんな補足すっから叩かれんだよwww


どうだ鋭い質問だろってwWW自分に酔っちゃダメだねwwwwバカ丸出しwwwwただの勉強不足だからさw


はいっ、終了~っ!www

kat********さん

編集あり2010/10/2016:58:15

そもそも難しいと思うのは、あなたの知的水準が低い、理解力に乏しい可能性が高いからでしょうね。

例えば、野球で、一般人が、プロ野球投手の速い球を打つのが難しいですよね。まるで、投手は自分の投球に酔っているようにみえますよね。

それと同じように、同じ日本語でも、知的水準が高いと、一般人では理解できない表現も多くなるわけです。練習量が違うのだから、当たり前のことです。あなたが勉強不足なだけです。法律の文章なんか、一般人にはほとんど理解不能でしょう。

本来、法律は一般人にわかりやすく書くべきでしょうが、そういうわけにはいかないのです。一般人の法律に対する意識や知的水準を高めるしかありません。だから義務教育があるわけです。

また、例えば、語学の準備無しに、外国に行き、外国の子供に、あなたの外国語はまるで、言葉遊びで、自分に酔っている、と言うのと同じようなもんです。

また、子供の質問が一見鋭くみえるのは、相手の気持ちを考えないからです。それに子供が質問者だと大人も油断するわけで、先輩として「わからない」とはいえないわけです。しかし、質問というのは、答えられるような相手に対して疑問を投げかける行為で、質問者が教えを乞うことが前提にあるのです。

つまり、自分ではわからないので、教えてください、というのが質問の本質です。子供は自分ではほとんど解決できないから、相手に対して回答できるかどうかを考慮せずに、想定外の質問をするのです。喩えるなら、魚屋に野菜を注文するのと同じです。

回答者の気持ちを察せない非礼ができるのは、質問者が子供だからです。子供だから仕方ない、で済まされるのです。大人ならば、自分は無学で素人なのでわからないので、すいませんが、という前置きをつけるのが礼儀です。

まぁ、確かに、専門家のなかにも、少なからず常識のない専門馬鹿がいるので、そういう意味では、ときには、子供のような質問が、専門家を困らせるのも、貴重な機会といえることもあります。

cho********さん

2010/10/2016:04:33

難しい言葉でしか表現できないひとは、ばかだよ。

wyy********さん

編集あり2010/10/2013:38:45

専門分野外のことについて、あなたが全く理解しないうちにただ否定しているだけなら、滑稽だとしかいいようがありません。

ですが、その本もただの独り言ではないはず。その分野について相手に理解してもらう努力ももちろん必要なはずです。

ですが、哲学はそもそも論、実証できないことを述べています。形而上学的なことを具体的にといわれても、そもそも具体化できないことを述べているわけですから、無理なけで、現実と乖離していると捉えてしまっているのもある意味うなずけます。

どのような言葉を使って、相手に理解させるか、これは言語の本質的な問題でもあります。自分には非が無いとばかりに一方的に言葉を並べていたのでは、相手に理解されませんし、自分から理解しようとする努力も必要です。又、哲学というものは、個人の世界観が強く反映されていますから、なおさら、相手に理解してもらうには四苦八苦なのです。

あなたが哲学を理解するには、実際にその人物の時代背景や、心情、環境などを考慮し、なぜそのように考えたのかと突き詰めていくといいでしょう。そうすれば、その人の考えが少しは分かってくるのではないでしょうか。

<補足について>
これは単純化の問題でしょう。確かに難しいことを単純化することは重要です。余分なものを切り取って本質を抜き出すわけですから。ですが、この作業は非常に難しく、下手をすると、本来の意味までも切り取ってしまう場合もあります。現実と乖離しているかどうかも、実際に具体的に判断していかないと分からない問題です。なおさら、哲学は単純化には向きません。概念、言語が本質なわけですから、それを単純化してしまうと、哲学本来の意味が失われてしまうのです。

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