天皇家はなぜ今の一族が天皇家になったのでしょうか? 祖先が天才的に戦に強かったとか未来予知ができたとかの要因があったのでしょうか?

天皇家はなぜ今の一族が天皇家になったのでしょうか? 祖先が天才的に戦に強かったとか未来予知ができたとかの要因があったのでしょうか?

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皇室ははるか昔から世襲制が続いています。 これは非常に武力に優れた人がいて、絶対的な権力者となり、権力の全てを自分の子供に継がせるという事から始まったと考えられます。 しかし、どこの国を見てもあるいは日本のほかの権力者を見ても、どんなに強力でもいつかは衰退しています。 蘇我氏も藤原氏も、鎌倉幕府も徳川幕府も、結局は権力の座を滑り落ちました。 にもかかわらず、皇室がこれだけ長く続いているのは、祖先を神に持つという神性だと考えられます。神の子孫だということで、誰もその座を奪えなかったわけです。 その神性がどこから生まれたのか。 いろんな豪族がいて、その中から徐々に天皇家が絶対権力者になったとしても、神の子孫という伝説は生まれないと考えられます。 古事記や日本書紀によると、皇室の祖先は高天原から日向を経て大和に東征し、そこで初代天皇になったとされます。そういう風に、そよから神の子孫がやって来たということで伝説が生まれたと考える方が妥当な気がします。

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天皇家は、どの一族か、お判りでしょうか? 『後漢書倭伝』や『万葉集』に記載は、斉王 芳(魏の少帝・中国北朝)が支持した、 周の古公亶父(ここうたんぽ)=太公望の (●本流)季歴後の、臺与(=台与・蘇我系)の「邪馬臺(連合国)」側。 =【台与(→豊)国・大分県(&福岡県)】こちらが【のちの大和朝廷(いわゆる天皇家)】 ●当時の臺与の邪馬臺国の「宮(都)」は、【京都(みやこ)郡香春(河内王陵の辺り)】 ≒『隋書』のイ妥国(臺国)の宮(都)・現田川郡みやこ町御所ケ谷 【小野妹子(蘇因高)の、推古天皇代(隋、唐時代)に神籠石を築くか】 http://www.yado.co.jp/tiiki/tikuhou/gosyogatani/gosyogatani.htm 祖先が天才的に戦に強かったのではなく、当時の血統です。 ちなみに、『魏志倭人伝(通称)』に記載の、 周の古公亶父(ここうたんぽ)=太公望の(傍流)太伯後の、「邪馬壹国」の卑弥呼は、物部氏です。

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古代国家においては、「政治」と「祭祀」は一体性を持っていました。これは生活が天候等の自然に大きく依存していた為です。従って、古代国家の首長には「天変地異を予知する能力」等のある種の「特殊能力」が求められていました。その結果、古代の首長は、その「特殊能力」を正当化する為に、次第に自身の宗族の「神格化」をしてきました。これはほぼ世界共通です。そして、最終的には「神格化された宗族」のみが、政治及び祭祀の長になれるという不文律が出来上がっていったのだと思われます。

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現代の洋式日本社会の人々は、毎日「勝った負けた」の暮らしに満足していますが、 過去の日本を同様な低劣な価値観で見るなら、何も得るモノはないと思います。 日本は古来、先祖の祭りごとの為に暮らして来ました。 其処で必要となる暦法を定めたのが日のミカドであり、太陽の観測を継続して来ました。 其れを聖政と云い、そのような日本を慕って世界各地から多くの賢人が来日して聖化しました。 其れに対してシナ大陸では徳政・仁政が広まり、儒教が栄えました。 インドでは仏陀の教えが広まりました。 其れに対してヨーロッパなど世界の辺境の地では多民族が互いに相争って勝敗の享楽と犠牲の悲しみと苦しみを再生産して今に至りました。 なのでもう、「天皇家が何故、2500年間も継続して、今の一族に繋がったのか」の結論はお分かりでしょう。 祖先が天才的に戦に強かったのでは有りません。 寧ろ戦いを避ける知恵が有った。其れが先祖祭りです。 因みに、未来を予知するなどのシャーマニズムは日本的なモノでは決して有りません。 其れは大陸性の多神教や迷信信仰の一つです。