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「孔明の嫁選び」

マリアさん

2010/12/1622:33:02

「孔明の嫁選び」



これは、「わざわざ見た目の悪い女性を選んだ」ことをいうのですか?それとも「見た目ではなくその女性の聡明さや才知に富んだ人柄を選んだ」という意味ですか?



よろしくお願いいたします。

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2010/12/1623:46:19

「孔明の嫁選びを真似てはいけない」とは、「蓼食う虫も好き好きに近い」と思われます。

諸葛亮の結婚は25歳の時。黄碩(演義では黄月英、三国志ではただ黄夫人)という不器量で有名!!な女性と結婚し、周囲から囃したてられました。父の黄承彦が「吾の娘は色が黒く醜いが、その才能は君が娶るに足る」と言っているので、小麦色の肌に日焼けしたタイプでしょう。良く外で活動するので、みんなが顔を知っている、変わり者扱いされた娘だったのかも。
黄承彦は江南の名士で、諸葛亮は自ら沔陽の黄家に赴きました。以下は真偽不明のお話です。

「渡り廊下に突然2匹の猛犬が飛び出し、諸葛亮に襲い掛かってきた。侍女が慌てて犬の頭を軽く叩くと、犬は止まった。更に犬の耳をひねると、犬達は後ろに下がって座る。よく見ると、この2匹の猛犬は木製のからくり犬で、黄碩の作品だった。諸葛亮が木製犬の精巧さを褒めると、黄承彦は「あの犬は娘が暇つぶしに作ったものです」楚の公輸盤のような伝統技術が、江南には残っていたのかもしれません。
黄碩は嫁いで来ると、家の中や外の畑仕事から家事まで、全て自分で行い、うどん作り機を作ったとか、諸葛亮製といわれる「木牛流馬」運搬道具や、10本の矢を連続して発射できる「連弩(れんど)」もいずれも妻から作り方を教わったものだとか言われたりします。『桂海虞衡志』19世紀には「諸葛亮が隆中にいるとき、友人がやってきた。ご飯が好きな者もいれば、うどんが好きな者もいたのだが、あっと言う間に、ご飯もうどんも出てきた。その素早さに、客が台所をのぞいてみると、数体の木のからくり人形が米を搗き、木のロバが飛ぶように臼を引いていた。諸葛亮は妻にその作り方を教えて貰い、それを元に『木牛流馬』を作った」物語の部類でしょうが、楽しい話ですね。「諸葛行軍散」と「臥龍丹」も妻から作り方を教わったものであるとも。

北伐の間、妻黄碩は、隆中の家の周りに800株の桑の木を植え、生糸の生産を広めました。息子諸葛瞻は後に綿竹を守って、戦死、諸葛尚もそのとき一緒に亡くなります。晋が全国を統一すると諸葛亮の三子・諸葛懐を洛陽に招きましたが「私は成都に800株の桑の木と100ヘクタールの田畑を持ち、衣食には困りません。才能も無く、何のお役にもたてませんので、田舎に返してください」と上奏した。とあります。母は美しくないが、才能豊かな人だったと言っていたそうです。

質問した人からのコメント

2010/12/17 00:37:10

成功 私も容姿には全く自信がないし、クリエイティブな知恵も知識もないし、好きになってしまった男性が容姿にこだわらない寛容な心の持ち主である事を祈りたいです。ちなみに、私は面食いではありませんので、あしからず。

でも、この回答はおもちゃ箱の中を覗いたような、ワクワク楽しい内容ですね。

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