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最後の忠臣蔵についてですが、 瀬尾孫左衛門はどうして切腹したと思いますか? 私...

jin********さん

2011/1/3111:49:42

最後の忠臣蔵についてですが、
瀬尾孫左衛門はどうして切腹したと思いますか? 私は切腹する理由が分かりません。映画「最後の忠臣蔵」のファンの方々には、冷静な分析をお願いします。

下記のように幾つか理由を考えたのですが、いまいち切腹するほどの理由には至りません:

1.大石の命令を遂行したと思った
2.大石のもとに行きたかった
3.可音への想いを断ち切れない自分への断罪(これなら多少理解できる)

切腹するのが武士道だからという、単純な理由は不要です。

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ベストアンサーに選ばれた回答

yuu********さん

2011/2/502:20:39

まず、松の廊下の刃傷ざたから約2年、身分の低い武士が、初めて一人前の武士として、無念を晴らそうと、大石を慕い、ついていき、その日を明日に控え、大石の願いとはいえ、死を決意した者には、断腸の思いであったであろう。そのご、世間では卑怯者として扱われ、いつか、自分も仲間の元へいって、加わりたい思いを胸の底に抑え、可音を育ててて行った。その可音を嫁がせ、自分の役目が終わった時、自分の生き方に迷いが生じることを一番に恐れるとき、流されていく不安を断ち切るには、やはり16年前の日を今一度自分に言い聞かせ、位牌の前で、皆の元にいくことこそ、そしてそれを助け(介錯)なく自分自身で最後の決着をつけたかったのだろうと思いました。とても不器用ですが、かなしく思います。切腹は別として、自分を律する生き方には、現代人には理解できないのかもしれません。当時、仮名手本忠臣蔵が浄瑠璃で上演されています。浄瑠璃は、人形を通して、どろどろとした人間の情念・人間の本質を露骨に表現します。仮名手本忠臣蔵では駆け落ちをしています。そのあたりの対比を曽根崎心中の浄瑠璃をつかって、表現したかったのではないでしょうか。

質問した人からのコメント

2011/2/7 23:37:12

抱きしめる 回答いただいた皆様ありがとうございました。
どなたのをBAにすべきか迷いましたが、『自分の生き方に迷いが生じることを恐れれ、流されていく不安を断ち切るには・・・・みんなの元に行くこと・・・自分の最後の決着・・・』というご感想に共感いたしました。
ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

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sho********さん

2011/1/3119:24:15

好きな作品です。そして好きなテーマなのでお邪魔します。

選択肢から選ぶなら2です。

あの作品になぜ度々人形浄瑠璃が挿入されるのか考えました。
くり返し映し出される道行き場面の意味。
孫左衛門は心中した、相手は大石内蔵助。というのが一応のわたしの結論です。
遅れた道行きということかなと。

内蔵助に庶子を託された時点で、孫左衛門は一度死んでいると思います。
彼の辿った道は、四十六士とも、吉右衛門とも違う孤独な道だったような。

吉右衛門は生き長らえたとはいえ討ち入りを果たし、大義のある16年間を過ごしましたが、孫左衛門は足蹴にされるような屈辱をひとりで噛みしめ可音を守ってきたわけで、自分の勝手な憶測に、孫左衛門、内蔵助を恨んでる部分もあるんじゃないか?と感じました。
自分を信頼したくしてくれたことへの喜びと責任感と、長らえさせられた時間の中で鬱積してきた想いと、そこから解き放たれる開放感。
どこか意趣返しの部分もあるような、切腹場面だった気がするのですが・・・。

なので死んでこそのラストだと思いました。

可音への想いは保護意識のほうが勝っていたと感じました。
閉ざされた世界で密接に生活する男女ですから複雑な想いが生まれても当然だと感じますが、孫左衛門の側からすると、あくまで内蔵助の忘れ形見、庇護すべき大事な対象だったように見えました。
ただ、可音の足を洗うシーンは大変色っぽく、孫左衛門の中に可音を女性としてみる部分が皆無ではなかったというのもあるのかなと、いろいろ考えます。

長々とまとまらないまま失礼しました。

red********さん

2011/1/3114:33:42

この設問からすると、2.かな

本来、吉良上野介の首を打ち落として
四十七人が切腹をして、主君の仇を討つ
ことが、成し遂げられたが、瀬尾は、
陪臣=またもの、ばいしん、直接、浅野の家来ではなく
大石家に、代々、仕えた者。

そのため、大石の命令に、服従して、子を育てた。
その時に、切腹すべきところを、命をながらえた。
切腹とは、自身の意地であると同時に、武士道を
まっとうした、という証しでもある。
つまりは、平たく言えば、世間体、か。
下級武士ではあるが、わたくしも、大石様と
一緒の気持ち、でござる。
本来は、身分卑しき身であれど、志は
変わらぬ、でござる。かな‥

封建時代は、現在と大きく違い、個=個人という
意識が、ほとんどなく、君主は神であり、
家名、血筋を残すことが、人生の主たる目的。

現在でも、その因習が残っているのが結婚式。
〇〇家と〇〇家のご披露宴などなど。

切腹せずとも、生きながらえることが、可能だが
瀬尾は、武士であった、という評価をしてくれる
ことを、望んだのであろう。
まして、もう、子育ての楽しみもなく、身寄りもなく
なんで、この世に未練など、あろうか‥

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ino********さん

2011/1/3114:24:00

まあ、その中から敢えてひとつ選ぶとすれば、

1.大石の命令を遂行したと思った

これが、一番近いかなあ・・・と思います。
もうちょっと正確に言うと、

本来死ぬべき時に死ねなかったので、任務遂行後に、死ぬことにした

というところでしょうか。
思い出していただきたいのですが、
孫左衛門は、本来なら、大石らとともに討ち入って、
後日、彼らと一緒に、「切腹して果てていたはず」の人間なわけです。
しかし、大石の命令によって「生き延びる」という選択をとらされてしまった。
「他の浪士とともに死ぬはず」だったのが、彼だけ「生き残らされた」わけです。
(まあ、寺坂吉右衛門も生き残らされたわけですが、それはさておき。)
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」などという言葉がありますが、
本来、命を懸ける(命を捨てる)はずの場で、それが出来なかったということは、
武士としては、恥と感じるのもやむなしと思います。
しかし、生き残ることを恥と思いつつも、
また、他の者たちに悪しざまに言われても、
それでもなお、孫左衛門が耐えて生き続けたのは何故であるか。
そう、

大石の命令があったればこそ

です。
大石の命令を果たすまでは、死ぬわけには行かない。
だからこそ(←ココ大事)、孫左衛門は「生き続けた」わけです。
でも、可音を嫁入りさせたわけですから、この時点で、もう役目は果たした。
あとに残るのは、「討ち入りの時に死ねなかった自分」だけです。
ならば、役目も済んだ今、討ち入って切腹したみんなのあとを追います・・・と、
アレはそういう事情だと解釈しました。
まあ、大枠で言えば、
結局、「武士だったから」ということになってしまいそうですが、
とにかく、孫左衛門としては、
「他のみんなが切腹して果てたというのに、
自分ひとり、のうのうと生き続けるわけにはいかない」
と、
ずーっと、そう考えていたのだと思いますよ。
あくまで一素人の私見に過ぎませんが、いかがでしょうか。

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