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【歴史】鎌倉時代の理解。これで、あっていますか?

nic********さん

2011/3/715:55:23

【歴史】鎌倉時代の理解。これで、あっていますか?

仕事で中学生に鎌倉時代について教えます。自分なりに勉強しましたが、歴史得意な方、博識な方、誤りが無いか指摘してください。

【背景】
平安時代の末期、源平の戦いで源氏が平氏を滅ぼす。

【鎌倉時代の成立】
1185年、源頼朝が、義経を探すためという口実で、全国に守護・地頭を置くことを朝廷に認めさせる。(朝廷・幕府の二頭政治開始)

1192年、源頼朝が征夷大将軍に任命される。

そのご、内乱などから源氏は3代で滅んでしまう。
将軍は公家などから出すことに決定するが、以降、将軍の補佐役の執権(北条氏)が大きな力を持つようになる。(執権政治)

【中期】

1221年、源氏の内乱を見て、地頭支配などに不満を持っていた公家たちを従え、後鳥羽上皇が兵を挙げる。(承久の乱)
北条政子の演説などが功を奏し、幕府側が勝利。
朝廷が支配していた西国は幕府の領地となり、また、京都には「朝廷の護衛」として監視組織、六波羅探題を設置。
朝廷の力は弱まり、幕府の力が強くなる。

1232年、強くなった幕府は、執権北条泰時の時、武士の初めての法律である「御成敗式目(貞永式目)」を制定。
以後、武家法のお手本となる。

【後半】

1274・1281年 執権北条時宗が、元への朝貢をもとめる死者を斬ったことから、フビライが兵(高麗軍)を送り、戦争勃発。
2度とも、台風が来て日本辛勝。
しかし承久の乱とは違い、新しい領地も手に入らなかった上、「神風を吹かせた」神官に俸禄を与え、働いた御家人(竹崎李長など)に御恩としての土地や俸禄を払えず、代わりに1297年、武士に対しての借金を帳消しにする「永仁の徳政令」を出す。

しかし、借金を頼りに生活していた武士たちは、それ以降借金をさせてくれる金貸しが減り、ますます生活は困窮する。
弱体化した幕府を見て、1333年、後醍醐天皇・足利尊氏が鎌倉幕府を滅ぼす。



10年以上前に自分が習った内容と、本、インターネットの情報で流れをこう理解しましたが、
何か抜け落ちているところ、以前と考え方が変わったところ、誤っているところがないか少し自信がありません。
何かありましたら、ご指摘下さい。

補足平氏≠平家、とのこと!なるほど。
このような用語の使い方もありがたいです。
引き続き回答お願いいたします。

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oos********さん

リクエストマッチ

編集あり2011/3/716:42:16

解釈の違いが他の方とある場合はご容赦ください。
あっていると思われますが、「平安時代の末期、源平の戦いで源氏が平氏を滅ぼす。」のところは「平安時代の末期、源平の戦いで源氏が平家を滅ぼす。」のほうがよろしいかと。
平氏にすると平氏全体になり鎌倉幕府で執権になった北条氏も含むことに成ります。
北条時政は当初は平時政と名乗っていたように源頼朝を助けた豪族の多くは平氏出身です。
平氏の中で政権を持った平清盛の一族を特に平家と呼びます。

少し違うと思われるところは
「将軍は公家などから出すことに決定する」とありますが、幕府は皇族を鎌倉殿(将軍のこと)に迎えることに決定しましたが後鳥羽上皇の拒否により摂関家から迎える。(ですので皇族から決定と公家では範囲が広すぎますので摂関家のほうが良いと思います。)
後には皇族から将軍を迎えています。

フビライが兵(高麗軍)を送るですが()内は元と高麗の連合軍のほうが良いと思われます。

質問した人からのコメント

2011/3/13 04:37:05

抱きしめる 摂関家。なるほど。
連合軍。たしかに。

参考にします!ありがとうございました^^ また機会がありましたら宜しくお願いします。

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