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江戸時代に詳しい方に質問です。 本来町方与力は御家人がなるもので、旗本はなら...

som********さん

2011/5/117:35:59

江戸時代に詳しい方に質問です。
本来町方与力は御家人がなるもので、旗本はならないみたいですが、
大塩平八郎は禄高200石の旗本なのに大阪町奉行の与力を務めていますよね。
これはなぜでしょうか?

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ryu********さん

編集あり2011/5/312:53:53

大きな勘違いをされておられるようです。(殆どの方がそうですが)江戸に限らず、町奉行所の与力・同心は、旗本でも御家人でもありません。(即ち、将軍の家臣ではありません。)理由は罪人を縛る不浄役とされた為で、町奉行所の役人として、原則一代限りの採用で家禄ではなく役料を与力は200石、同心は30俵2人扶支給されていました。(息子を新規召し抱えという格好で事実上世襲されていました。)身分も武士に準じる身分でした。 質問とは、直接関係ありませんが、与力は石高で領地を与えられていましたが、江戸町奉行所の場合は南北に25人づつ50人与力いました。武蔵の国内に与力用の領地として1万石(200石×50人)があったと記録に残っています。 どこか誰の領地と決まっておらず、全員分として1万石だったそうです。

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