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ロシアの中では、日露戦争って、実際のところ、大きい歴史的な存在ですか? それ...

pro********さん

2011/5/2210:28:59

ロシアの中では、日露戦争って、実際のところ、大きい歴史的な存在ですか?
それとも、負けてないよ。停戦しただけだよって思っていますか?

単なる局地戦で扱い小さいですか?

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k1_********さん

編集あり2011/5/2816:13:47

ロシアに措いても日本同様に大きかった。何故ならその後のロシア革命に繋がる戦争であったから、戦争前から帝政ロシアの圧政には国内には不満が燻っていた。皇帝ニコライ二世は、この不満を日本との戦争に勝利し、満州の地から朝鮮半島までをシベリヤ鉄道を経由したロシアの大軍をもってすれば、ちっぽけな島国日本の軍など鎧袖一触で満州に及ばず半島から追い落とし、朝鮮半島まで領土化し、日本を屈服させ従属もしくは隷属させれば、国内の不満分子も黙らせることが出来るの政治的野心があった。それが、まさかの日本軍の奮戦と日英同盟上での英国の巧みな日本側へのサポートで計算外の苦戦、更に赤石元二郎の大諜報作戦によりロシア国内は、労働者や民衆などのストライキ&デモ等(赤石が日本政府の命を受け、反政府の革命運動家たちに資金提供し、扇動した)で社会情勢は不穏な空気が漂い始め、戦いの芳しくない事に尚いっそう拍車がかかった。日露戦争はロシア側の不本意のまま終結し、ロシア皇帝の権威はますます失墜し、赤石の撒いた反政府の革命の火種は燃え続け1917年ロシア革命が起きる。日露戦争から13年後である。従って、日露戦争はロシア側にも歴史上のターニング・ポイントで革命の遠因、契機となった点で重要であった。

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ベストアンサー以外の回答

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goo********さん

2011/5/2400:17:05

そんなことないですよ

日露戦争は日本の勝利です

初めに述べておきますが、日露戦争は引き分けだった、運が良くて勝てた、ロシア軍は戦略的に後退して最後には大戦力を動員して勝つつもりだった、クロパトキンが無能だから勝てた、などと言うのは反日家やロシア側の見苦しい言いわけであり、ただの負け惜しみです

日本陸海軍は、その実力を持って連戦連勝したのです

海軍は東郷平八郎と秋山真之の活躍で連戦連勝で日本海海戦でも圧勝しました

陸軍は大苦戦しましたが天才児玉源太郎と黒木大将の活躍で連戦連勝でした

そしてロシアを満州・朝鮮半島から追い払い、賠償金は取れませんでしたが樺太の南半分と遼東半島と南満州鉄道を手に入れることができました

なぜ世界最強のロシア帝国に勝てたかと言うと明治日本には優秀な人物がたくさんいたからです

やはり
1位は児玉源太郎でしょう
日露戦争最大の功労者で判断力と洞察力にすぐれた天才です。
彼の作戦は世界の誰も思いつかない素晴らしいものばかりでした。
彼がいなければ勝てなかったと思います

2位は『T字戦法』『七段構えの戦法』を考えた天才戦術家、秋山真之です

3位は世界の英雄、東郷平八郎です

ほかには
ロシア帝国を内部から揺さぶり、暴動やテロを起こさせて戦争継続を困難にさせた名スパイ
明石元二郎

海軍の大リストラを実行し名将東郷平八郎を抜擢した、山本権兵衛

最強の軍団司令官、黒木為もと

日本陸軍最高の作戦家、藤井茂太

薩摩の名リーダー、大山巌

薩摩の猛将軍、野津道貫

桑名藩雷神隊隊長、立見尚文

騎兵の名将軍、秋山好古

海軍を陰で支えた、島村速雄

戦費調達を成功させた、高橋是清

いくさのプロ、奥大将

花の梅沢旅団、梅沢道治などです

pri********さん

編集あり2011/5/2218:50:57

日露戦争の敗北はロシア帝国にとって大きなダメージでした。日露戦争時に
血の日曜日事件が起こり、戦艦ポチョムキンの反乱が発生して第一次ロシア
革命が起こっており、ツァーリズムの屋台骨を揺るがしています。また、東方へ
の進出を阻止されたことにより、ロシア帝国は外交政策の中心を西方にシフト
することとなり、これが第一次世界大戦の遠因の一つとなっています。ロシア人
からすれば、日露戦争がきっかけとなり、後のロシア革命への歴史に繋がる
わけですから、その意味は大きいと言えるでしょう。

特に対馬沖海戦での敗戦に、ロシア人は相当なショックを受けています。
それは、例えば、対馬沖海戦を叙述したロシア語のwikipediaの文章の
長さなどから現代でも伺えます。
対馬沖海戦(ロシア語wiki)
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A6%D1%83%D1%81%D0%B8%D0%BC%D1%81%D...

日露戦争後のロシアでは「対馬」(Цусима)という単語は、特別な意味
を持ちました。例えば、1913年にベイリス裁判という帝政政府側が陰謀に関与
した反ユダヤ裁判(当時のロシア帝国は革命的雰囲気から国民の目を逸らす
ために反ユダヤ主義を煽っていた)が起こっているのですが、この裁判で陪審員
によってユダヤ人ベイリスが無罪とされ、政府側の目論見が崩れたときに「これは
司法の対馬(沖海戦)だ!」と法務大臣が叫んでいます。
法務大臣自身が事件のでっち上げに関与していたことからも、通常なら負ける
はずのない裁判なのですが、当時のロシアは陪審制をとっていて、一般農民から
なる陪審団はユダヤ人ベイリスを無罪としたのです。これを法務大臣が「司法の
対馬」と表現したことから分かるように、「対馬」とは「あり得ない敗北」と似たよう
な意味合いで使われたのです。このエピソード一つをとっても、当時の帝政側の
官僚たちがいかに対馬沖海戦での敗戦にショックを受けて、強く意識していたか
が分かります。

ベイリス事件については下記参照
http://en.wikipedia.org/wiki/Menahem_Mendel_Beilis

jus********さん

2011/5/2212:07:21

現在のロシアも昔のロシアも大国です。

その時代無名だった日本が戦争に勝ったってことは大きな歴史だったのです。

ora********さん

2011/5/2211:07:59

ロシアは日本に対して国力的に圧倒していて、世界的にも大国だと思われていたわけで、日露戦争は勝って当然の戦いだったわけです。その勝って当然の戦いを講和で終わらざるを得なかったのですから、ロシア側の衝撃は大きいでしょう。世界的にも、国内的もロシア皇帝が侮られる結果となったわけです。

第二次世界大戦時にスターリンが対日参戦を行った際にも、日露戦争の復讐だみたいなことを理由の一つに述べていますから、日露戦争の敗北はロシア人(スターリンはロシア人ではないが)にとって痛手であり屈辱的な出来事だったのでしょう。

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