夏目漱石の作品「夢十夜」でいくつかわからないことがあります。
夏目漱石の作品「夢十夜」でいくつかわからないことがあります。 第三章で文化五年辰年というのが出てきます。 この文化五年辰年にはどんな意味が込められているのでしょうか? 又、前半部分で子供に予知能力があるように思えますが、 なぜ子供には鷺がなくことがわかるのでしょうか。 殺されたときに体験したからでしょうか?
文学、古典・5,226閲覧・25
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『「文化五年辰年だろう」 なるほど文化五年辰年らしく思われた。 「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った』 ⇒ 新聞小説を掲載している1908年の100年前の年(文化五年)を書いただけでしょう。 『左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。 「田圃へかかったね」と背中で云った。 「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、 「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。 すると鷺がはたして二声ほど鳴いた』 ⇒ 人間の能力ではありえない怪しい雰囲気を読者に感じをさせる小説手法でしょう。 【子供に予知能力があるように思えますが、なぜ子供には鷺がなくことがわかるのでしょうか。殺されたときに体験したからでしょうか】 ⇒ ①自分の子どもが昔から盲目だと言う、②青坊主になっている、③子供の声なのにまるで大人の言葉付きである、④眼が潰れているのに「田圃へかかったね」という、⑤鷺が鳴く前に鷺が鳴くじゃないかという、⑥盲目でも「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」と指摘することも、夢の中なら、あらゆることが起きて不思議ではありません。 40歳前後の人が「こんな闇の晩にこの杉の根で盲人を100年前に殺した」という自覚が忽然と頭の中に浮かんでも、夢の中なら不思議ではありません。本人も100年前の自覚が起きたことをおかしいとは思いません。 明治は、言文一致だけでなく、自然主義、反自然主義、耽美派、白樺派、内面を描く、利己的人間を書くなど、多彩な方向の追求がされた時期です。 しかし、読者獲得・新聞拡販の使命をもつ新聞の短編小説に、深層心理と原罪意識を主題に書くことはないと思います。 親の因果が子に報うというイメージにあわせて、100年前の先祖の悪行(盲人殺害)が子孫である自分の記憶によみがえるし、子どもが突然盲目になり昔から盲目だというのは、読者には分かり易い表現でしょう。 みてきたような妖怪の話ではなく、おどろおどろしい表現を抑えて、夢という形で怪談を書くというのは、英国留学した鴎外の一つの試みでしょう。 笹淵友一は、1986年「夢十夜」論ほかの中で次のように書いているそうです。 http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/dream.html 『即ち第三夜の着想の機縁は漱石自身の夢にあったとしても、構想そのものは戯作者や噺家に負っており、問題はこれを「如何に」芸術化するかにあったにちがいない。周知のように、南北、黙阿弥、円朝らの江戸末期から明治初年にかけての怪談物は頽廃的で陰惨な叙述や描写に傾く。その恐怖感は官能に直接迫り、不快感が混じる。漱石が第三夜において企てたのは、怪談の中からこの不快な不純物を除き去り、官能よりも想像に豊かな余地を残したものを創造することだったと考えられる』 三遊亭円朝が速記で記録させ出版した圓朝の落語、怪談話は大人気です。やまと新聞は1886年の創刊時から圓朝の話の口述筆記を掲載し読者を増やした。(1895年まで連載) http://5inkyo.net/hyakunen/cgi-bin/encyo/search.cgi?category=Sottuki 単行本も出版が続く http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A8%E6%96%B0%E8%81%9E#.E3.82.84.E3.81.BE.E3.81.A8.E6.96.B0.E8.81.9E 1903年 小泉八雲の後任として東京帝大で夏目漱石が教鞭(夏目の講義は不評。学生は小泉の留任を求めた) 1904年 (小泉八雲 怪談 を発表) 1907年 夏目漱石は教職をすべて辞し、東京朝日新聞(1888年発刊)に入社。その後の執筆状況からみても、新聞小説は、新聞社にとっても、作家にとっても、読者獲得の重要な事柄であり、不人気になる危険性は冒さないだろう。 1907年 虞美人草(6月 - 10月朝日新聞)職業作家として執筆した第一作 1908年 坑夫(1月 - 4月朝日新聞) 1908年 夢十夜(7月 - 8月朝日新聞) 1908年 三四郎(9月 - 12月朝日新聞) 1910年 (柳田國男 遠野物語 を発表) 夢十夜の深層心理的な解釈や漱石の原罪意識が取りざたされるようになったのは、伊藤整(1949)や荒正人(1953)以降のようです。新聞掲載や単行本出版から40年間は、怪談調の小品として読まれていたのではないでしょうか。
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質問者からのお礼コメント
とても詳しく教えていただきありがとうございます。 第三夜自体は短いですが深く読んでいくと結構面白かったです。
お礼日時:2011/6/5 23:21