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ロシア革命について

tan********さん

2011/6/1521:33:23

ロシア革命について

ロシア革命は誰がおこなったのですか?
学校ではレーニンが行ったと教えられましたが、
ウィキペディアではボリシェヴィキと書かれています。
いったいどちらがやったのですか?


ちなみに、「ロシア国民(革命軍)がやりました」
的な幼稚な回答は避けてください。
的は射てますがw

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rab********さん

2011/6/1614:41:44

ロシア革命は二段階革命で二月革命と十月革命に分けて理解します。

まず、二月革命は1917年3月に起こります。当時ロシアは第1次世界大戦で苦戦し、首都に物資不足が起こったので市民の暴動が発生しました。この暴動に首都駐屯の軍隊が合流し帝政を倒し臨時政府ができました。

十月革命は臨時政府をレーニンが指導するボリシェヴィキが倒した革命です。ボリシェヴィキは後のソビエト共産党です。レーニンはその指導者です。二月革命が自然発生的な革命であるのに対して、十月革命は暴力によるクーデタという特徴があります。軍事力はボリシェヴィキに属する兵士・労働者から構成されていました。

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k1_********さん

編集あり2011/6/1709:17:25

ボリシェヴィキとはレーニンやトロッキーやカーメネフらの一派の名前で一般的に多数派とよばれる。ロシア社会主義労働党・現ロシア政権の誕生までに紆余曲折あって、革命運動家レーニンが国外亡命先から帰国し、ツアー体制打倒し世界初の共産主義革命を目指した。この運動が激しくなったのはツアー(皇帝)に、国民の困窮を訴えようとデモを行った。そのデモをツアーの軍隊が発砲、鎮圧し多数の死傷者が出た。これが「血の日曜日事件」となって革命の端緒となった。その革命の火は拡大したが、革命内でも思想の違い、権力闘争を展開し、レーニンら一派の主張する暴力による革命路線が勝利、その主導権を握った。この派を称してボリシェヴィキ(多数派)とよばれた。1905年から1917年(革命樹立)の間の革命闘争期間には、党内抗争から、反革命との抗争があった。この対立はレーニンらのボリシェヴィキらの軍を赤軍派、その革命路線に抵抗(反対)する対立軸の軍を白軍派と呼ばれ国内抗争を展開した。白軍派の将軍はアレクサンドル・ケレンスキーで、チェコスロバキア軍隊との連合で赤軍と戦っていたが、そのチョコ軍隊に裏切られ破れ、赤軍派によって処刑された。従って、ロシア革命は1917年になったが、行ったのはレーニンやトロッキーらのボリシェヴィキであった。そのトロッキーも権力闘争に敗れ粛清された。

zik********さん

2011/6/1522:05:20

レーニンがボリシェビキという政治グループを率いて行った革命です。

従ってどちらも正解ですが、ボリシェビキの活動全てをレーニンが指導した訳では有りません。

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