ここから本文です

豊臣秀吉はなぜ 千利休にそんなにこだわったのでしょうか そんなにこだわった茶...

ton********さん

2011/6/2800:08:45

豊臣秀吉はなぜ
千利休にそんなにこだわったのでしょうか
そんなにこだわった茶道は当時尊く政治にまで影響力があったのでしょうか

閲覧数:
517
回答数:
2
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

ran********さん

編集あり2011/6/2820:29:10

茶道というよりも、利休自体が多くの大名達に影響力を持っていました。

当初、秀吉は利休に対して信長配下の時代から素で話が出来る相手であり、心許せる親父の様な存在だったと思われます。だからこそ、他に類がない程、町人である利休を重用します。更には筆頭茶頭にすえ、最終的には豊臣政権の内政にも携わらせます。その状況を鑑みるに秀吉は、敢えて利休を内政に介入させる事で親利休派の人達への間接的な影響も考えていた可能性もありますが、単に利休の人格的な寛容さが、大名達から慕われいた側面もあるかと思われます。とにもかくにも利休本人が予想していた以上の権勢が利休にはそなわってしまったと言えると思います。

この状況をず~と芳しく思っていなかった反利休派は秀長の死後、活発に行動を開始し、利休糾弾を始める流れとなります。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mik********さん

2011/7/223:01:26

秀吉の最大の側近だったように、後世に神格化されただけだとも思えませんか?

たまたま千利休の子孫が今日まで家元制度に守られて存続し、彼を神格化するに足るだけの伝記や物質が残されていただけだと考えることも出来ると思います。
そして家業存続のために、シンパを増やすべく後世に物語を脚色しながら利休を神格化していったと。

その証拠に、これだけの情報が残されていながら、切腹の真相は謎のままですよね。
でも、そんなはずないですよね?
神格化に都合の悪いことは隠蔽されているように思いませんか?
表千家、裏千家のどちらかに決定的な伝承が残されているはずだと、そう思えてなりません。
実は、茶道の功績以外では大したことのない存在で、めっちゃショボい、カッコ悪い理由で切腹させられただけなのかも。

当時、似たような幹部は大勢いたはずで、また何らかの責任問題で、切腹で命を落とした人も少なからずいたはずです。

たまたま千利休の情報が豊富に伝承されているだけで、情報量の少ない人との相対比較で、秀吉にとって重要な位置づけだったと思われているだけだと考えることも出来ると思います。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる