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実話の歴史上の悲しい話を教えてください♪ 出来れば戦国時代や中世のヨーロッパ...

kni********さん

2011/7/2618:47:30

実話の歴史上の悲しい話を教えてください♪

出来れば戦国時代や中世のヨーロッパなど古い時代の話を歴史マニアの皆様!教えてください♪

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ベストアンサーに選ばれた回答

tak********さん

2011/7/3000:23:17

岐阜県恵那市岩村町にある岩村城(別名・霧ヶ城)の女城主にまつわる話を。
戦国時代、岩村城は織田信長の支城で城主は遠山景任でした。
岩村城は武田信玄によって攻められたが織田信長の援護もあり城を守り抜いていました。
景任には信長の叔母にあたるおつやの方(岩村殿、修理夫人)が嫁いでいました。

元亀2年、景任は子供が無いまま病死してしまいました。
そこでおつやの方は信長の五男坊丸(後の勝長)を養子にし後継ぎにしました。
坊丸はまだ幼かったので、おつやの方が当主の座を引き継いで岩村城の女城主となりました。

天正元年、武田信玄の家臣秋山信友が岩村城を攻撃しました。
岩村城がなかなか陥落しないので、信友はひそかに計を巡らし、密使を城中に送り、
“私(秋山信友)と結婚して無事に城を明渡し、御坊丸を養子として家督を譲ることとしてはどうか”
とひそかにおつやの方を説得したのです。
岩村城は信友の策により、兵の裏切りが次々と出始めていました。
おつやの方も到底最後まで城を守ることが出来ないと悟り、この提案を承諾し信友と結婚しました。
こうして岩村城は無血開城し、武田軍の物になったのです。
信友は信長の叔母と結婚した事を信玄に咎められない様、坊丸を甲府に人質として送ってしまいました。(時に坊丸は七歳。)
これを聞いた信長は大いに怒りました。

天正3年、長篠の戦で武田勝頼の軍が敗戦すると、信長は岩村城を攻略すべく嫡子信忠を大将とする軍勢を送り込みました。数ヶ月に渡る持久戦の後、城中も次第に兵糧が乏しくなってきました。
兵卒も疲れをみせはじめ、武田の応援も無くなり、ついに岩村城は陥落してしまいました。
信長は、秋山信友をはじめおつやの方らを岩村城外において 逆磔(さかさはりつけ)にしてしまいました。

この時おつやの方は、声をあげて泣き悲しみ、
「我れ女の弱さの為にかくなりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかならずや因果の報いを受けん(私が女で弱かったた為にこうなったのだが、あなたの叔母である私をこの様な酷い殺し方で殺そうとする事は必ず因果の報いを受け死ぬであろう!)」
と絶叫し、亡くなったそうです。

織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれるのはその七年後の事でした。


※岐阜県恵那市岩村町では、おつやの方にちなみ、地元の醸造会社岩村醸造が「女城主」と名付けた日本酒を売り出しています。

質問した人からのコメント

2011/8/2 14:07:53

感謝 色々迷いましたが、詳しく書いて頂いたtaketake1600snow様にBAを差し上げます♪皆様、ご回答有り難うございました♪

ベストアンサー以外の回答

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red********さん

2011/7/2811:52:09

僅か23歳で淀殿(秀吉の側室)と自害した豊臣秀頼の生涯は悲しすぎる。

ももこさん

編集あり2011/7/2809:00:11

最上家の駒姫。伊達政宗の従妹で美しい少女だったそうです。わずか15歳で豊臣秀次の側室にさせられましたが、すぐに秀次事件が起き、秀次が秀吉の命令で切腹させられ、秀次の妻子を皆殺しにせよと命令が出されたので、六条河原で処刑されました。

sna********さん

2011/7/2621:19:51

フランス革命の際に、国王ルイ16世に最期まで忠節をつくしたのは、フランス軍人ではなく、スイス人傭兵でした。
テュイルリー宮殿が圧倒的多数の民衆に襲撃された際、スイス人傭兵は最後まで国王とその家族の警護にあたりましたが、ルイ16世が民衆への攻撃命令を出さなかったため、無抵抗のまま皆殺しにされたそうです。

bun********さん

2011/7/2619:25:57

ジェーン・グレイ…17才でギロチンにかけられたイギリス、テューダー朝の女王です。
Wikipediaで調べて下さい

bir********さん

2011/7/2619:16:20

イギリス王ヘンリー8世は、キャサリンという
王妃が最初いたが、この王妃は、なかなか
男子を 産まなかった、王は、キャサリンを
叩き出して王妃が不義があると言い出し
王の離婚を認めさせる強権を発動、
これを聴いたローマ法王庁がヘンリー8世を
非難する、英王は、カトリックを辞めると
言い出した、イギリスが、英国教会という
英国王が自分側の都合で設立した
キリスト教宗派で、このころ始まったという。
キャサリン王妃にはブーリン家という
あまり裕福ではない貴族の家柄から
女官としてアンとメアリーという姉妹が
キャサリン王妃に仕えていたが、
まず、メアリーにヘンリー8世は手を出して
キャサリンと王の離婚騒動中に
メアリーは男子を懐妊、
ところが同時にアンにも王は手を出しており
どちらかというと王はアンを好みだったらしく
王の種らしい男子を生んだメアリーに
手切れ金を渡して男子を連れて、どこか、
静かなところで穏便に暮らすがよいと王は
いったという。キャサリンが、男の子を産まないので
あれほどモメた王は、キャサリンの離婚を
成すとキャサリンを不義者として修道院へ
強制収容してしまい公然とアンと一緒になった、
アンは、女子を産み、これが有名な
エリザベス1世、王は、エリザベス1世を
後継者に決定するが、アンは、王に、
次に男子を産むからというが、
だんだんアンと王は不仲になり、
急に王はアンが不義を密通をしたと言い出して
その手の法廷にアンを訴追してアンは有罪となり
エリザベス1世の実母アン・ブーリンは、
斬首の処刑を された、
ヘンリー8世・英国王は、その後も何度も王妃を
変えて、エリザベス1世は、女王になるまでに
幾多の苦難を 乗り越えなければ
ならなかった。

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