自決をなぜするのか

自決をなぜするのか 硫黄島からの手紙を見ながらふと思いついたことがあったので質問します。 映画内でも自決を行っていましたが、なぜ行うのでしょうか? 自決するぐらいなら、死ぬまでに敵を1人でも多く殺しといたほうがお得じゃないですか?(もちろん死なないことが1番ですが) 兵力をわざわざ減らすような行為を、ましてや指揮をとる者がそれを正しいと本気で思っていたのでしょうか? 戦争等に詳しい方教えてください。

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ベストアンサー

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硫黄島の栗林中将は「自決をするな、少しでも長く戦い続けて敵を倒せ」と命令していました。 けれどもその硫黄島においても、自決者が非常に多かったことは事実です。 これは捕虜になるのを嫌ったというだけでなく、「敵の手にかかるよりは自分で命を絶つ」という思想があると考えるべきです。 日本軍もある程度の火力があるうちは激しく応戦していたものの、弾薬が尽きてきて「どうやっても勝ち目はない。それならば潔く自分で命を絶とう」となったのが実態に近いでしょう。 また、戦場だけでなく、日本国民が戦後も含めて「戦死」より「自決」に美を見いだす傾向があります。 硫黄島といえばバロン西(西竹一中佐)が有名ですが、「その最期ははっきりとはしないが、どうやら敵の銃弾を受けて戦死したらしい」とする説の方が研究者の間では有力なのに、小説等では「自決」としてしまうものが圧倒的に多いというのは、「戦死」より「自決」に美しさを感じてしまう国民性のあらわれではないかと思います。 これとは別に、重傷者、重病者に対する「安楽死」という意味で自決をさせた一面もあります。 (捕虜になることがタブーだった、というだけでは、敵を道連れに戦死することもなく自決するという行為の説明になりません。)

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:2011/8/20 2:46

その他の回答(7件)

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明治維新で多くの侍が職にありつけない状態。 そりゃそうだよね、お城に出仕して何するわけでもない、コメ一粒つくるわけでもない人間が、いきなり城から放り出されるんですから。 でも、この維新で警察と軍隊の創設が行われました、仕事柄武士にぴったりの仕事だと思いません。 全国各地の武士が応募したのですよ。 そして、そのトップはそろいもそろって、薩摩か長州の人々だったでしょ。 この人たちだって、もともと百姓でも何でもなくて、列記とした武家の出です。 こういう人たちがトップにいたんですから、わかるよね、どのような教育をされどのような精神を植え付けられたかは。 武士もそうですけど、捕虜になるぐらいなら、討ち死にするほうがましだという考えで、命令が遂行できない場合武士はどうします、そうです切腹です。正しいとか正しくないとか、そんな事どうでもいいことであって、このような教育を徹底的に教えられるのですよ、そしてそもそもこのような教えを受け入れやすい人々なんですから。 第二次大戦のころには、流石に百姓の優秀な生徒が軍に入ってきますが、第一次大戦の勝利が有るだけに、このような軍部の教えは改まることは無いよね、そしてやはりみっちり教えこまされるんですよ。 武器弾薬が有るうちは、実際特攻精神で相手に突っ込んで行ってますよね、でも手元に武器弾薬の一つもなければ、やはり捕虜になるぐらいなら自決って事ですよ、生きて虜囚の辱めを受けずって、まさしく武士の精神です。

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責任を取るために自決をするという考えと自決して綺麗に死にたいという考え、戦闘して捕虜になるのが恥という考えがあります。 また、ケガや体力があれば戦闘をしている例がそれなりにあり、戦闘をしてから自決したことがそれなりにあったとも考えることができます。 戦闘をしていたが病気やケガ、何日も食事ができないことにより体が動かなくなったりして戦闘をする気力がなくなり自決したと予想します。 敵の捕虜になり拷問や暴力、処刑などをおこなわれる危険とケガをして放置される危険があり、敵に殺害される恐怖より自決するほうが安心感があるという考えを予想します。

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硫黄島では栗林さんが自決は禁止してたけど実際は自決した者も多い。確かに自決するぐらいなら一人でも多くの敵を倒せというのが正しいと思うが、もう弾薬も尽きて丸腰状態で食料、武器の補給もままならない。兵士は自軍の状況をわかっててたし、どのみち敵に殺されるならという考えでいっぱいだったんでしょう。ましてや生きて帰るなんて…というのもあっと。本音は生きて帰りたかったでしょうけど。25年ぶりにグアムから帰還した兵士の横田さんが帰還後の第一声「恥ずかしながら生きて帰って参りました」という言葉が印象的です。

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日清戦争や支那事変の頃は捕虜になると残虐な殺され方をしたので捕虜になることを禁じていました。しかし太平洋戦争も後半になると自決や安易な玉砕戦法は禁じられ、おっしゃるように少しでも本土決戦をのばすよう指令が出されます。なお「不名誉より死を」という考え方は日本(戦時中)だけのものではありません。中国の虞美人もエジプトのクレオパトラもしかり

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元々は日清戦争のなどに捕虜になった日本人がものすごくむごたらしい殺し方をされてたのが判明したんだそうです。 そんなむごたらしい殺され方をするなら自決したほうがマシということになった。 それが第二次大戦くらいになると、捕虜になるのは恥。というふうに変化していったと本に書いてあったよ。 もちろん明治の頃より情報統制は厳しかっただろうし、漏洩を恐れてのことも合ったとは思います。 さらにひどい話ですが弾薬や食料がない中で口減らしという意味もあったかもしれません。