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ハプスブルク家とは、どのような家系で、どこの国で、どのぐらい繁栄したのでしょ...

ryu********さん

2011/8/2614:27:10

ハプスブルク家とは、どのような家系で、どこの国で、どのぐらい繁栄したのでしょうか。
また現在では、どのようになったでしょう。

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usa********さん

2011/8/2617:44:09

ハプスブルク家は元々はスイスの一貴族だったが婚姻によりドイツ領邦との関係を深め、1273年ルドルフがドイツ王(皇帝戴冠していない神聖ローマ帝国の君主)に選出される。
ルドルフはハプスブルクの勢力基盤を築くのに成功。
以後、ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝をほぼ独占するようになる。
神聖ローマ皇帝となったハプスブルク家は本拠地をオーストリアに移す。
だがスイスをまるでオーストリアの属国のように扱ったことでスイス人に反感を持たれ、抵抗運動の末にハプスブルク家はスイスから追い出されてしまった。
(ヴィルヘルム・テル(英語名ウィリアム・テル)はハプスブルクによるスイス圧政時代の物語)
ハプスブルク家は多産の家系で、子供を作っては他家と婚姻していった。
ヨーロッパの王家は直系が断絶すると傍系に王位が移るため、婚姻関係のあるハプスブルクは周辺国の王位をも受け継ぐ立場となった。
オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国の王位を持ち、神聖ローマ帝国皇帝位を受け継いでもいた。
こうしてハプスブルクはヨーロッパに一大勢力を築くことになる。
しかし、あまりにも「高貴な血筋」となったハプスブルク家は婚姻に見合う相手が少なくなり、一族内での近親結婚が多くなった。
特にスペイン王家ではこの傾向が強く、叔父と姪の関係で結婚というケースすらあった。
そのため病弱な子供が多く生まれるようになりスペイン=ハプスブルク家は断絶。
その後は婚姻関係にあったフランスのブルボン王家からスペイン王が選ばれた。

このブルボン家(フランス)とハプスブルク家(オーストリア)は長年のライバル関係。
お互い反目しあっていたが、マリア・テレジアの時代になるとドイツ領邦の一つであるプロイセンが台頭しオーストリアと対抗。
対プロイセンのためにマリア・テレジアはそれまで対立していたブルボン家と手を組んでプロイセンの囲い込みを行う。
フランスとオーストリアの協力関係の証となったのが、テレジアの娘マリー・アントワネットのフランスへの輿入れだった。
フランス革命後、ナポレオンが現れヨーロッパで暴れ回った際に、これを押さえることが出来なかったオーストリアはドイツ領邦からの信頼が薄れてしまう。
そのため神聖ローマ帝国から離れる領邦が現れ、ハプスブルク家は苦肉の策として「神聖ローマ帝国の解体」と「オーストリア帝国の樹立」を行う。
これによりハプスブルク家は「皇帝」という肩書だけは保持した。
オーストリア帝国ハプスブルク家の有名人と言えば絶世の美女エリザベート皇后。
しかしエリザベートの息子ルドルフ皇太子はマイヤーリンクで不審死。エリザベート自身も暗殺。
次の皇太子となったフランツ・フェルディナントはサラエヴォで暗殺され、これをきっかけに第一次世界大戦勃発。
敗退したオーストリアは帝国解体、ハプスブルク家もオーストリアから追われることとなる。
最後の皇帝カールの息子、すなわち最後の皇太子オットーは第二次世界大戦後に政治家となり、ヨーロッパ議会の議員としてヨーロッパ再編に尽力。
冷戦末期に東ドイツ市民が大量に西側に越境する「ピクニック事件」の西側協力者でもあった。
このオットー・フォン・ハプスブルクは今年98歳で死去。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110704/erp11070422180011-n1.htm
オーストリアで葬儀が行われ、心臓はハンガリーに埋葬された。
http://blog.livedoor.jp/trans_vienna/archives/3952025.html
ハプスブルク家の現当主はオットーの息子カール。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E...

質問した人からのコメント

2011/9/1 23:24:49

ありがとうどざいます。
大変、勉強になりました。

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win********さん

2011/8/2614:41:45

中世ヨーロッパで中部ヨーロッパを中心に勢力をもっ た名門王家。ハプスブルクとは鷹の城が由来でスイスの小貴族からオーストリア皇室を出した名門王室。

1273年超ラッキー男ルドルフ・フォン・ハプスブルクが神聖ローマ皇帝に選出されてからスペイン皇帝など輩出し続け破竹の勢いを得る。

しかし近親結婚を繰り返したためか、カルロス2世が39歳で亡くなった1700年に断絶。王位はフランス・ブルボン家に継承された。

ちなみにハプスブルク家の血筋にあたる人は現在もちゃんと生きている。オーストリア王家復活を望んでやまないそうである。

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