実際の諸葛孔明って日本の 石田三成に似ていたって 聞いたんだけど本当ですか?

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ベストアンサー

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文官的なイメージと優秀な内政官僚という部分だけでは?三成は小田原攻めでの大敗、関ヶ原での大敗と戦に勝つイメージはないですが、孔明は死せる孔明生ける仲達を走らす の言葉のように彼がいるなら まだ戦に勝てないと思われるほどの戦上手です

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

確かに孔明は負けない戦いをしましたものね。 回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/9/22 8:33

その他の回答(5件)

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「大同小異」と云うべきか・・三成&孔明=文治派、加藤清正ら&関羽、張飛=武功派とあえて言えば大別できるのでは・・孔明はけっして関羽などのような豪傑タイプでない、頭脳派で戦術の才を発揮する将であった。また三成のような内政、事務方などの職務もこなした官房長官的(或いは政府の幹事長的)職責兼務の軍師であった。一方三成も官房長官的(或いは政府幹事長的)役目を主たる将であって、軍師的働きも有るにはあった。関ヶ原合戦の際の西軍の布陣も、戦術的観点から言っても及第点であったらしい。だが、如何せん孔明と三成の違いは、戦術家としての孔明は不出世の軍師であり、武功派も敬意を持って接していた。一方三成は軍師として孔明には遠く及ばない将であり、人望も薄かった(武功派などからは反発を招き、豊臣家の相克の元凶であった)。孔明の戦術戦略の逸話が誇張されたものであっても、同輩、軽輩らからの信頼があった点、三成の「虎の威を借りた」権勢ぶりへの批判とは明暗を分けたようです。最後に、関ヶ原合戦前夜の「石田三成」の人物像を語った山内一豊の言を披露すると、「あの男は、このたびのような大戦(おいくさ)に采配のふるえる将ではござらぬ。川普請などをやらかすにはなかなか気の利いた男でござるが」、徳川家康の陣所であった。

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戦があまり得意ではない点、文官というところが共通点でしょうか?後世の人に慕われているなら諸葛亮ですね。石田三成は最後に負けたことで評価が下がってしまった。 でもどちらも亡き主君に忠義を尽くした、これが最も似ているところではないですか?毀誉褒貶はありますが。

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過度な諸葛亮礼賛には否定的ですがさすがに石田三成程度と比べたら失礼です。 三国志演義の影響を抜きにしても四川地方では良き統治者の代名詞は千年以上も「諸葛亮」でしたから。 豊臣政権の枠内でさえまとめられなかった石田三成とは格が違う。