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時代を問わず、基本的に(一般的に)年貢というものは、農民が米で納めるものです...

opf********さん

2006/1/1014:15:08

時代を問わず、基本的に(一般的に)年貢というものは、農民が米で納めるものですよね。で、商工業者は、貨幣で納めるものですよね。
では、漁民はどうだったんでしょうか?
特に、太閤検地の前と後では大きな変化はあったのでしょうか?

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白獅庵さん

2006/1/1017:40:52

京・奈良など都市の商工業者には「地口銭」と云う、家の間口で換算した税金を徴収します(このため京都の町屋は間口が狭く、奥行きが長い)
この制度が定着します・
また人頭税を住民全員に課税した。
この地口銭・人頭税は貨幣で納めます。
漁民はブリ・鮭など何尾で米では何斗との決まりがあり、魚での納税となります。
太閤検地の前後では大きな変化は無いと思います。
太閤検地の目的は、農地での収穫高が各大名であいまいで不明なことが多く、その大名の実際の収入(武力の基礎)を全国統一基準で表すために計量枡を統一する必要で実施し、兵員の動員数の基礎力の把握を知るためにも実施した。

ベストアンサー以外の回答

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kin********さん

2006/1/1014:18:03

国民全般に”税金”を課せられたのは、明治以降。

...........

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