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朝鮮三国時代・新羅の王子の末裔(まつえい)が日本からやって来た。このたび来韓した...

kus********さん

2011/9/2921:20:39

朝鮮三国時代・新羅の王子の末裔(まつえい)が日本からやって来た。このたび来韓したのは、新羅26代王・聖王の琳聖王子の45代目にあたる大内公夫さん。 大内さんは全羅北道益山市の名誉広報大使を務めており、29日から4日間、同市に滞在する。
大内さんは滞在中、先祖に対する祭礼を行うほか、地域の祭りに参加。また百済王宮遺跡内での植樹祭にも参加する。
同市の関係者は「琳聖王子の末裔が自ら植樹することで、そこが昔の王宮だったことを広報したい」と話す。
大内さんは「植樹することで、1400年前に栄えた百済の素晴らしさが益山によみがえる一助になればと思います」と話した。
琳聖王子は、新羅に父王を暗殺されたショックで朝鮮半島を去った。

台湾経由で日本に渡り、当時の華やかな半島文化を伝えたとされる。



どうですか?

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les********さん

2011/9/2921:42:34

琳聖太子という名は、当時の日本や百済の文献に見ることはできないので、大内が聖王の末裔というのは15世紀の創作だろうね。
かりにそれが本当だとしても、山陰山陽の地域に一個人が持ち込んだものを、半島文化を伝えたと韓国メディアが拡大表現しているだけ。

だったら考古学の発達で、ヤマトの伝統的な墳墓である前方後円墳や埋葬法としての甕棺、日本よりあとの時代のものが朝鮮半島南部全羅南道の榮山江付近に沢山見つかっていることや、朝鮮では取れない翡翠が見つかっていることを考えれば、朝鮮南部は倭人の支配の地域であったことは東アジアの歴史書の記述のとおり。

任那の存在も、新羅人、加羅人、倭人が混在した金官伽耶と合致し、また狗邪韓国という倭人領土があったことも、記述のとおり。

魏志には倭の地域は、次のように出てくる。
『魏志』韓伝
「韓は帯方(漢四郡)の南に在り、東西は海をもって限りとなし、南は倭と接する、方4千里ばかり」


東アジアの歴史書に、倭人が朝鮮半島に出入りしていた記録はあるのに、倭王が朝鮮半島から出たという記録がないのを知ってましたか?
http://www.youtube.com/watch?v=mfCDtLttPqg

琳聖太子という名は、当時の日本や百済の文献に見ることはできないので、大内が聖王の末裔というのは15世紀の創作だろう...

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rit********さん

2011/9/2921:39:02

どうでもいいです。。

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