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行司についての質問です。 「木村庄之助」が立行司になったのは何代目からですか?

hyh********さん

2011/9/3011:34:14

行司についての質問です。
「木村庄之助」が立行司になったのは何代目からですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

usm********さん

編集あり2011/9/3013:52:45

私も疑問に思っています。多分14代目か15代目でしょう。
立行司に昇進したというよりは、このころに立行司という名称が使われるようになったと言うのが実情ではないかと考えています。では何時から立行司という言葉が使われるようになったのか?語源の由来は何か?私には分っていません。少なくともネットの情報では詳細は分りかねます。

それまで行司の最高位は三役格で、足袋、草履が許され、紅の房を使っていました。明治の中期に紫(紫は古来高貴な色です。)の房を吉田司家が免許するようになったのが関係あるのかもしれませんが不明です。

質問の趣旨とは離れますが、行司の主席になったのは木村庄之助以外では、木村松翁、式守伊之助がいます。3人の式守伊之助が番付面でトップになっいますが二人は主席になった後すぐになくなり、実際には首席では相撲を裁いていません。
下記は式守伊之助が木村庄之助の上位に来ている貴重な番付だと思います。
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/archives/digital_archives/ono_collecti...
(公開されている方が伊之助に興味があるかははなはな疑問ですが。)

木村庄之助以外の立行司は現在は伊之助だけですが、以前は瀬平、庄三郎、玉之助など何人かいます。

補足
6代伊之助が主席行司になったころは、式守は式守、木村は木村であり相互に変わることはありませんでした。明治時代にある木村家の行司さんが式守家に養子に行き姓が変わりました。16代木村庄之助です。式守と木村を両方名乗るのに抵抗感がなくなり、17代庄之助は、庄三郎(立行司)→伊之助→庄之助となりました。以後例外はありますが伊之助を経て庄之助になることが普通になりました。でもこれは書こうと思ってた事じゃなくて蛇足。

書こうと思っていたこと。明治の初めまでは式守と木村が厳格に分れ、それぞれがほぼ年功序列で出世していました。江戸時代の庄之助の立場はよくわかりませんが、明治の初期は2本レールがあり、それぞれ独立して運営しています。明治の3人の主席伊之助はごく自然な形で年功序列で出世しています。庄之助が亡くなった。次の庄之助は伊之助より次席が下なので逆転した。それだけです。式守家の人数が圧倒的に少なく、例は多くありませんが。

質問した人からのコメント

2011/9/30 14:21:30

大変詳しいご回答有難うございました。勉強になりました。
木村庄之助が今度で36代目ということは少なくとも江戸時代から
立行司として、結びの一番を裁いていたのではないのでは
という発想から質問をしました。感謝いたします。
ryougokuさんも有難うございます。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

ryo********さん

2011/9/3012:23:39

木村庄之助と式守伊之助とでは、庄之助の方が半枚上に位置しますが、十三代庄之助の時は、六代目伊之助の方が上位とされていました、よって十四代目庄之助から現在の地位が固定した訳です。

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