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昔の日本で1日2食だったときは何時と何時に食べていましたか?

kat********さん

2011/10/1618:53:57

昔の日本で1日2食だったときは何時と何時に食べていましたか?

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2011/10/1623:36:46

平安時代の貴族の食事ですが、貴族の一日は丑の刻と寅の刻の間(午前3時頃)に起床、属星の儀式、吉兆判断、日記付、神仏への礼拝、歯磨き、そして身支度を整えて出勤となりますが、出勤前に硬めの粥を食べます。但し、これは正式な朝食ではなく軽食です。出勤時間は現在の午前6~7時頃です。

「蜻蛉日記」には、妻の家にいた藤原兼家の出勤の様子が書かれており、身支度中に侍女が軽食のお粥をすすめると、「いつも食べないからいらない」と断っています。

正式な朝食は帰宅後の巳の刻(午前10時頃)~午の刻(正午頃)になり、夕食は申の刻(午後4時頃)にとります。ただ日没後に開かれることのある宴会は、貴族はそれを正式な食事とはみなしていませんでした。

ただ武士は貴族並の食事では体がもたないので、農民にならって朝食と夕食の間に間食をとりましたが、限られた上級武士はかたくなに二食にこだわったといいます(この一日二食は、三食分に相当する量を二食に分けてとっていた)。

江戸時代に入ってもその慣習は受け継がれ、井原西鶴の「浮世草子」などにも一日二食の風がみられるといいますし、当時単に「朝夕」といえば、それが食事を意味したほとです。この「朝夕」の食事の時間は、朝が午前8時、夕が午後2時頃といわれますが、午後5時頃とする説もあるといいます。この一日二食の習慣が崩れ、一日三食になっていったのは元禄年間(1688~1704)の頃といわれます。

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2011/10/17 07:17:10

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2011/10/1619:38:55

明治時代の江戸風俗研究者のある著書には、鎌倉時代から戦国時代、江戸初期の食事は1日2食が普通だった事を複数の書物の名を挙げて語っているようです。それによると、戦国武士の食事は「朝夕2合5勺ずつ、1日5合」が決まり。江戸初期に刊行された仮名草子「慶長見聞集」には、牢の囚人にも1日1合ながら朝夕に2度、食事を与えていた事が書かれている。食事の時間は、朝明るくなった頃に朝食で日が暮れて暗くなった頃に夕食という形が普通だったようです。ただ、重労働をする農民などは、質素ながらも2食の間に間食をとる習慣があり、武士も戦場においては間食をとったといいます。

jij********さん

2011/10/1619:34:03

昔は不定時制でしたので、現在のように何時と何時ということではありませんでした。不定時制とは、昼と夜の長さに応じて時間の長さが変わることです。昔の時間の単位は一刻でしたが、昼の一刻は日の出から日の入りまでの時間を6等分した長さであり、夜の一刻は日の入りから日の出までの時間を6等分した長さです。従い、季節により時刻は変化したのです。そこで2食を食べる時間ですが、現在のお相撲さんと一緒です。大相撲のお相撲さんは朝起きたら、先ず、稽古をします。そして稽古が終わったら朝飯?を食べ、それから昼寝をして夕方に夕食を摂ります。昔の人も同じように、朝起きたら仕事をして10時から12時くらいの間に一食目を食べ、夕方の暗くなる前、多分、午後4時から午後6時くらいに二食目を食べていたそうです。それが、鎌倉時代に中国から一日三食が伝わり、先ず、お坊さんが次いで武士階級が三食を始め、庶民まで三食になったのは江戸時代です。

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