ここから本文です

横山三国志の司馬懿は対諸葛亮戦にて、諸葛亮に完全に劣っていたのに(陣の見せ合...

bob********さん

2011/12/1109:40:09

横山三国志の司馬懿は対諸葛亮戦にて、諸葛亮に完全に劣っていたのに(陣の見せ合い、空城、焼殺etc)最後で勝てた(?)のは何故ですか?

後々、曹爽が司馬懿のクーデターを聞いて「諸葛亮を倒しちゃった人に俺が勝てるわけないじゃん(;ω;)」と勝てない理由を挙げていましたが、あれは不戦勝なのに倒したうちに入るんでしょうか?

閲覧数:
1,243
回答数:
4

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

ina********さん

編集あり2011/12/1110:30:40

蜀軍が魏に攻め込んでの戦いであるので、蜀はアウェイ、魏はホームで戦うという事になる。
魏は元々国力が豊かである上にホームで戦うので兵力が豊富でしかも補給も簡単であった。
しかし蜀は元々国力が劣っている上に山々を越えてきての遠征であったから、兵力の増強どころか補給もままならなず、北伐のうち一度は兵糧が滞ったのが原因で撤退しているほどであった。
こうした状況であったので、諸葛亮が司馬懿に勝っていたとしても圧倒的戦力差を互角に持っていける程度であった。

もっとも正史を見る限り、孔明は天才的な政治家ではあったが、軍師としては並程度だったのではないかと思わせるような記述が目立つ。
一方正史の司馬懿は政治家というより軍師・策士タイプのように見受けられ、軍略は孔明と互角かやや上かもしれないという印象を受ける。
横山三国志は孔明を超絶天才軍師に書いた三国志演義を元にしているので、大げさに言えば超人孔明が凡人司馬懿に勝てないという不思議な展開になってしまっている。

ベストアンサー以外の回答

1〜3件/3件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

oni********さん

編集あり2011/12/1222:18:29

司馬懿が大軍で守りを固め、諸葛亮に攻撃する余地を与えなかった為です。
うろ覚えですが、兵法書の『孫子』にも、「こちらが負けないという状態を作り出すことはできても、こちらが勝てるという状態は敵の隙につけ込むものだから負けはしないが勝てないという状態もあり得る」みたいな記述があったと思います。
司馬懿は魏の兵力が蜀に対して遙かに勝ることや、蜀の兵站の問題を冷静に分析して、持久戦に持ち込めば勝てるという結論を見いだし、それを実践した為に勝てたのでしょう。

>>xa0yeddn7wizy7bws16xさん
南蛮征伐においては李恢・張ギョクらの功績ですから異論はありませんが、北伐については反論があります。
rammda64さんに付け加える形で発言をお許しください。

正史だけに絞っても、第1次北伐では南安・天水・安定の3郡を寝返らせ、中原を動揺させて曹叡を長安まで引きずり出し、馬謖が街亭で大失態をしでかした後も天水の男女数千を蜀に移住させた。
第2次北伐では陳倉で赫昭に阻まれるも撤退戦で王双を斬る。
第3次北伐で陳式に命じて武都・陰平両軍を抑え、第4次北伐では魏延・高翔・呉班に命じて司馬懿の軍勢を撃破し、三千人を殺し、五千の鎧と三千百の弓を獲得。撤退時にも名将張コウを射殺。

司馬懿にしても本来得意の電撃戦ができずに大軍で引きこもり、防戦一方を強いられた。

これだけの武功を以てしても「何も結果を残していない」と言うのはいかがなものかと。
恐れながら、本当に正史を読んでいらっしゃいますか?

また、街亭でも副将の王平が活躍して軍の全滅はかろうじて防いでいる点からしても、完全敗北と銘するのはいかがなものかと。

ram********さん

編集あり2011/12/1217:55:26

何と云っても「国力」です。
諸葛亮の季漢と、司馬懿の魏では太平洋戦争時の日本とアメリカぐらいの国力差がありました(戦前から、日本がアメリカに勝てない事が判ってるぐらい)。
如何に諸葛亮が奮戦しようと、その歴然としたパワーバランスを覆すには至らず、結局諸葛亮は天命を迎えてしまうのです。
とは云え、第二次北伐で王双を討ち取ったり、第三次北伐では涼州の諸郡を魏から掠め取る事に成功したり、第四時北伐で張コウ・司馬懿のコンビを破り、挙句張コウを討ち取る等の大立ち回りを演じています。
張コウは歴戦の闘将であり、司馬懿は用兵神の如しと謳われた名将、その二人から僅かな兵で勝利をもぎ取る時点で、諸葛亮の軍事的才覚は最早証明されたようなものであります。とてもじゃありませんが、こうした事績を知れば諸葛亮が下の方々が仰る様な政治家一辺倒のタイプには思えないかと思えます。
特に、xa0yeddn7wizy7bws16xさん。
馬謖を起用して敗れた諸葛亮を責めるなら、郭淮・費曜を用いて敗北し、それどころか名将張コウをあたら死なせた司馬懿をも責め、彼等を破った諸葛亮を讃えるべきなのでは?

xa0********さん

2011/12/1202:58:37

あれはほとんどフィクションであり、諸葛亮に無理矢理活躍させています。諸葛亮は、ほとんど勝っていません。街亭の戦いでは完全敗北しています。馬謖が負けたのではなく、馬謖を起用した諸葛亮の惨敗です。諸葛亮は六度も北伐して、ほとんど結果を残していません。一見凄い軍師ですが、よくみると、なにも結果を残してないことがわかります。正史では南蛮征伐のこともあまり書かれてはいません。南蛮征伐に出てきた関索にいたっては存在しない人物です。司馬懿と諸葛亮の戦いは、守る司馬懿に攻めあぐねた諸葛亮が負けたのです。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる